The love that breathes

例えば空を見上げるような.

晩夏、或いは秋の入り口の神事について

2022/9/3  堂本剛 平安神宮 奉納演奏 2022

伺いました。ツイまとめ*''

 

 

毎年があることは当たり前でなくて、特別なことで。例えば流行り病で開催すら叶わない年だってあって。その特別に執り行われる晩夏、或いは秋の入り口の神事(剛さんを好きな私にとっての、概念)に、剛さんにも、その演出にもただただ見惚れた。
開演からぴかぴかと雷が雲を照らして、はじめは殆ど吹いていなかった風が中盤吹き抜けて、冷たいそれは演出のしゃぼん玉をあちこちに揺らして、剛さんが最後に歌うバラード曲が終わるや否やさあさあと雨が降り出して、セッション中ざあざあと降って、お言葉が終わると星がひかる

 

公演前、閉門前にリハーサルをされていて。(剛さんのお姿はなし)、Gakushiくんがあのまろやかな声色でリハーサルやります〜、今日はセッションで〜、コーラスも(いい塩梅で的な)、BPM100くらいで〜クリック出ます?出なかったら近いやつでも〜、と指揮と音頭を取っていて。
コードEな感じで〜、と始まったセッションは数分間、素敵だったなあ。
その前にうっすら彩雲も見えてね、雨の繰り広げ方然り、神さんは見てるなあ、と思ってしまうような出来事だった。
設営しますんで〜とはけた時、ステージ真正面最後尾の音響ブースでGakushiさんの姿を見た気がしてサウンドメイクの要点を担っている、のだなあと。(認識が合ってたら。)
剛さんのkeyも、Gakushiさんが確認されていた。


1曲目から街、ってとても刺さるな…。今年のツアーでは、LOVE VS. LOVEがリリースされた後はメロウなそれが冒頭歌われて、その後ごりごりのfunkチューンが繰り広げられるから、それを彷彿としたり。キーボードアレンジが原曲よりメロディアスで、ちなみに2回のフェイクはキーボードのアレンジタイミングと合っていたので、アドリブでなくリハ段階から設けられていたものなのかなあ…と憶測。
(キーボード1本で歌われます)、この身体は…の前に剛さんのフェイクが2回入ってて、それに胸が揺すぶられて…その後も「まだいけるさ」の語尾に、微かに声の掠れというか震えが聴こえたような気がして、西の空のもとで歌う「街」の強さと切なさと優しさに打ち震えたのでした
→この街、後日公開されたTHE FIRST TAKEも同じアレンジ(十川さんGakushiくんの2key体制)で披露されていたとおもう。

 

平安神宮公演、円盤化されてるのとかはもっとしっとりとか純和風寄りのセトリが多いと思うのだけど、今日はけっこうfunkを前提にそこに匙加減としてのメロウさが乗っかった楽曲もチョイスされてて(セトリ内の”ポジティブ”を担うパートがそういうベクトルだった)、今までの平安神宮公演で一番音に身体が前のめりに揺れて、ハンズアップしたかもしれない。野外で音に揺れると、風や空気や鈴虫の鳴き声とか、音楽の素敵なスパイスになる要素がいっぱいあって、めちゃ気持ちいいんだな…と少し振りに体感した。ほんと最初から最後までもっかい体感したい、自分の脆弱な脳みそにこのかけがえのない夜を刻み込めるように、公演をリフレインしたい…うう…平安さんはツアー以上に円盤化されるかどうか不明瞭だから、余計に無性にそう思うのかもしれない…
→後日、剛さんYouTube、SUPER FUNK MARKETで、インタビュー含め15分くらいの映像で今年の公演ダイジェストが公開されたのです…ああ言葉にならないよ、嬉しさで涙しかでなくて…

 

LOVE VS. LOVE、平安神宮さんで聴いて、空の下が似合う曲だなあとなんだか感じた。愛の自由を歌う曲だから、天井も壁もない、制限のない場所がとても似合うのかもしれない。あとはPVの雨の気配も(歌唱時点では未降雨)野外で感じながらだったから…空に溶ける声と音が綺麗だった

 

Everybody say love、個人的に相当に好きな楽曲なのですが、セトリ入りしてしかもメロウ寄りなアレンジされててげきあがりです…原曲のハレのムードを削ぎ過ぎず、ちょっとムードな塩梅に落とし込んで平安神宮に似合う、lowに重心を置いたようなアレンジが大人で雅で最高でした

 

Rain of Rainbow、サビのRoRと浴びて〜の間の音数を3音に減らして、メロウなムード醸してたなと思う!原曲は音数多めで小刻みにダンスの要素増やしてる感じだけれど、平安verは太平さや拡がり、雨が上がり虹がぱあと広がったような、線から扇状に光が広がるような、そういう着実だけど明らかな明るさ、のようなものを描き出していた感覚を抱いた。Gakushiさんが鳴らすイメージのある音色の、シンセの3音がぱーぱーぱーーと空間に広がって、客席全体を重力がなくなったかのように、ふわりと宙に連れゆく。愛と平和とFUNK、の世界へ誘う。(※本公演では口上無し)

 

宿でソースがないのですが、(ラストのバラードと、)もう一曲肉感を持って披露された曲目は太陽が遠いで合っているでしょうか、もし合ってたら、あの時レコーディングという場で納得のできる歌唱が叶わなかった曲を、ライブで野外という環境で歌いこなした剛さん、ほんとにほんとにすごくてすごすぎる…すごいよほんとうに…
肉体の状況はRECの時から善きに向かっている訳では悲痛だけれどなくて、ということは叶わなかったを叶えたのは他でもなく剛さんの努力と鍛錬によるもの以外の何物でもなくて。シンガーソングライターが己で作った曲が歌えない、なんて断腸という言葉で足りるか分からない現実に、向かい合い続けて己のものにする、って文章に書いたら過程も結果も異次元そのものではないかと…。なにをどう成してこの日があったのか、他人の自分は知る由も無いけれど、少なくとも披露された楽曲に心が心底震えたことに微塵の相違もないのでした。ほんとうにほんとうに素敵でした、、
1聴きなのでメロディラインが頭に残る所まで全く至らないのですが、最高だったって肌感覚、感情の残滓だけが残ってて、打ち震えてる
「太陽が遠い」の時(だった筈…)は、平安神宮の朱塗りの社殿、その屋根に木々が投影されて、新緑や桜や紅葉や冠雪?が揺れる樹木と散る葉の中に繰りていて。一周でなく、季節を何度も繰り返しながら映し出された映像を見つめながら、剛さんは何年も、この季節ここに立って音楽を奉納してきたんだなって、思って胸がきゅっとした

 

愛 get 暴動 世界 ‼︎!とI'm gonna show U how 2 FUNKが接続されてて(えーん合ってるかな自信ない)、FUNKはLOVEに変えて歌われてた。あいがなだいすきでだいすきで、まっことテンション昂った…‼︎勃の音圧ごりごりの系譜だと思いますが、より本能的な楽曲だと思っていて、コロナ禍での叶わないを経る剛さんに、これからどうやって愛をするかみせるね、なんてぶっとい音鳴らされながら歌われたらころっといっちゃうよ(どこに?)。
中盤、(あいげっとだったかな…いつだったかな…)剛さん前髪を何回か両手で後ろにかき流して、ヘアスタイルがオールバックちっくになった時があって…げきてきに男前でめろ〜って惚れ惚れしちゃいました。根本が黒くてあと金髪パーマって、まあ魅力以外のなにものでもない…
堂本剛(ENDRECHERIを含む)のライブの特徴に曲間の繋ぎの卓逸さがあるよなあと思っていて、今回平安神宮でそのバリエーションが増えていた…
楽曲はCDを再生すれば耳に届くけど、こういうブリッジのアレンジはライブが映像化しないと極論もう生涯体感できない、ってことになるのだよなあ…ほんとに良かったんです今回の接続も…上がったボルテージが滑らかに宙に浮いて、次の曲へ温度感がしっかりと連続して継続していく。めっちゃよかった…

 

剛さん、今日はそんなに手振り多めではなかった(そういう楽曲がセトリ入りしてなかったかと)けど、ハンズアップ促したのと、AGE DRUNKERの駄目なのよ(確か1番上下、2番で左右に5拍ぱたぱた)、NARALIENの宙で愛を研ぐでマイク前で合掌したのは懸命に鮮明に覚えています。
見る限りはイヤモニ調整も1回くらい(バラード曲で、自分の声量上げての時くらいかも)で、今日は快く歌うことができたかなあ。ピッチやばやば…てふるえた楽曲もあったよ。剛さん。
ちなみに公演序盤はじんぐう前のスペースでどなたかが音楽されてて、無音が無音になりきらなかったはず、ということを付言しておきます

 

数年(開催されなかった年を含め)平安神宮さんを離れている間に、照明とレーザーのスペックがとんでもなくなっていた(ような…)。端席だったのでビームくんだったかはわからないのですが、一閃がぼやけず霧散せず、鋭く夜闇を貫いてた。光の柱が明らかに、都の夜を貫いていた。
→これビームくんでした、歴史を物語る朱色の平安神宮に、最先端の技術が極彩色の彩りを加えて、過去と未来を合わせた今、と剛さんが仰る光景をはっきりと目の当たりにした
ライティングで言えば、冒頭の街は静謐に。勃はツアーやSUMMER SONICで観客を貫いた赤と黒と白から一転、青色の世界で、朱色の平安神宮と青色の照明の対比に目を見張る。新譜のバラードでは、橙色のあたたかさと白の黎明さがひととしての歌を歌う剛さんを柔らかく照らしていた。

 

1111111の光線、虹色だけど単純で規則的なもの…では全くなくて、色の配分や直線と曲線、線と面、夜に光が描ける多様性の虹の極地がここにあったような気がする。昇り上がるサウンドに剛さんの揺らぎないボーカルが光を纏ってほんとにすごかった。
新しい虹を描こう、という剛さんの言葉がありありとまざまざと、京都の夜闇のなかに具現化されていた

 

ほんと新譜がね、シンプルにど直球に、恋人との温度感を表す文章をサビに持ってきててね…剛さんにそういう存在の方がいらしたらいらしたでなにかまざまざと触れたような心地でああてなる(右にも左にも言語化できぬ…)し、いらっしゃらなかったらいらっしゃらないで、どうしてこんなにも生々しく恋人という存在が齎す体温を言葉にして声色にして歌うことができるのかなあと、何を想像したり仮定に据えたらこんなにも素肌のような人間ど真夜中に最推しのそういうことを久方振りに割と真正面から考え始めて一人ですこぶるもだもだしている
さわっとしてる方がままいらっしゃるる…ほんとさわっとしたもん、真相は未来でしか知り得ないけれど、そうだったらそうでこの瞬間に立ち会ったことにさわさわするし、そうでなかったらそうでないにせよ、剛さんの表現力にまっことさわさわする…(主語をぼやかしぼやかしして書いています)
剛さんの音楽は色恋に軸がないから、日常からは結果半身浮遊するケースも多くて、だれがどうしたとかは言い出さないという個人的印象なのですが、Make me up!で地面に足がついた!と思ったら今回はひわっそういうベクトルの肉感!てなって胸がさわさわする…さわさわする…(以上全て個人の気持ちの話)
剛さん、新譜、「恋人」という言葉。
恋の歌でなく恋人への歌、広義でなく狭義の愛、たくさんへでなくただひとつへ向けた愛の歌、に言葉が表現が聴こえた…(特定の有無については言及しません)
YouTubeの動画で、恋愛の曲は書かないけど、コロナの時代、ひとりを愛する歌もいいかな、と仰っていて(ニュアンス)。ああそういう背景で、ここにこんなに素敵な曲が生まれたんだなあって、思う
平安神宮、奉納演奏、剛さんは肉感のある、ひとを感じる音楽をここにいるときに歌うのだよなあ。precious loverもそう、今年の太陽が遠いもそう、新譜(恋人と愛を語る、そんな言葉を繰る歌…)もそう…剛さんが抱きしめる恋人の温度を感じるような、そんなうた…
新譜のバラード曲、ピッチコントロールがすごくてやばくて、、同じ文字で声伸ばしながら音程U字に下げて上げる…それをサビで数回、1番と2番で繰り重ねて…お耳の事考えたらとてつもないことだと思うし、お耳の事考えなくても心がふるえて涙腺にきてすごかった…観念的でなく、ただ人を感じる歌詩で…
剛さん、平安神宮の空の下でだけ、音楽に写し身して、身体の外に解き放つ心の色彩があるということなのかなあ(全く以てわかりません)

 

ざあざあと雨が降り出したその時は、歌唱ラストのバラード曲が終わって、キーボードが音階を奏で始めたところで。シャーマニッポンの頃(てぃあふるめろでぃーのような??)を彷彿とさせるような和と緩やかなメロディで、ピアノの音だけが鳴り続ける中、粛々とテントが設営されていった。
パラソルができあがると(ちなみにバンメンさんは運動会で見るような、後ろに傾斜の4本脚のテント。パラソルは真ん中だけに軸があって?確か?。4本脚だと剛さんが死角になる角度があるけれど、それがない機構なのかも)、その中でギターかベースのネックをタオルで拭いていた。
拭くその様子も悠然と、なにも焦る素振りはなくて。剛さんの身体も濡れているだろうけれど。屋根の設営がひとしきり終わると、ピアノの独奏から緩やかにドラムやホーン、各セクションが音を奏でて、剛さんもギターだったかなあ、を鳴らして、滑らかにセッションに移っていった。
セッション、ざあざあと降る雨粒が閃光に透けて、光の中に水の球が流れ落ちながら浮かんで、蛍光緑のレーザビームがすこくすごく幻想的だっだのです…

 

最後のご挨拶、いつもよりすこしだけ足早に話す剛さん。ありがとうございました、空保つかなと思いましたけど降りましたね、天気予報見てて降る予定だっので、雷さんは見ないふりし歌ってたんですけどね(微笑)、降っちゃいましたねえ、と。やらかく、困り声音で。
でも私達は普段、発達しててこんな風に(頭上のパラソルを指差しながら)屋根のあるところに入ることができて、雨を感じるということもないのでね。自然を感じながらの公演でした。と。
それから今年のテーマはネガティブとポジティブ、ネガティブな時もありながらも、(たぶん、そんな自分を受け容れながらも、みたいなニュアンスで。両腕を物を寄せ動かすジェスチャーで向かって右→左に揃って動かしながら)、ポジティブな時もあって。それを表現しました。
確かにツアーのセトリよりも緩急があって、ツアーやSUMMER SONICはFUNKの申し子という背景が揺るぎなくあった上でのバラード披露に聴こえたのですが、平安神宮公演は世界に数多いる人類の中のひとりである堂本剛、のような…生身の人間の有り様を深く深く感じるような、そんな印象を抱く瞬間がままあって、ひとりのひとの多面性という意味でもネガティブとポジティブを感じる瞬間があったのでした。
剛さん、お話後段で、もっと話したいんですがね、濡れてるみなさんを見てるのが忍びないので、、とご発言があって、この時ばかりは、おい降雨まじおま降らなきゃこんな名残惜しい進行剛さんにさせること無かっただろ気を遣わせておいこのやろ(以下自粛)、と口の悪いことを心中で言い散らかしそうになりました(ほぼ言ってる)。
いつも直喩や暗喩や言葉を繰り返したりして思いを言葉に伝えてくださる剛さん、話を急かされるとこんな風に要点を折り畳んで伝えられること、やっぱりできる社会人なんだよなあ、好きな曜日は水曜日でその理由はスタッフが働いててレスポンスがあるので物事が進むから、と宣うのもまた然りなんだよなあ、と今しがた回想しながら思ったのでした。どっちもできるのはやっぱり優れてて能力の証左だよなあと。

 

剛さんのお言葉の最後に合同参拝をするのですが、あの大粒の雨の中でも、レインコートのフードを外して二礼二拍手一礼をする客席もちらほらとあって、きっとこんな心が(それが正義という意味ではなく)、そういった心の数々が、この夜を毎年にしている一助になっているのかもしれないなあ、と思った。

 

お別れ間際、つよくやさしく生きていきましょうね。って言ってくれて、皆さん風邪ひかないように、できる方はお風呂に入ったり、(兎角)身体をあたためてくださいね、と最後に優しい言葉を贈ってくれて。さようならー、気をつけてねー、と何度も振り返りながらお辞儀とお手振りを頂きながら、さよならしたのでした。