The love that breathes

例えば空を見上げるような.

祈りの形(魂、信念、真心)

堂本剛 平安神宮 奉納演奏

 

 

剛さんが毎年ライフワークのように開催してきた平安神宮公演。2010年から、今年は10回目の公演です。

(ライフワーク、なんて表現をするけれどそれを叶えることに当たり前はなにひとつない。お金があればとか人気があればとか、そういうことで叶えられるステージとは一線を画した場所。)

世界は今だコロナウイルスという全容の知れない病のなかにあって、夏のツアーは計画があったものがすべて中止になったと剛さんの口から話されていて(@FMB)。秋の平安神宮はどうされるかな、9月16日(平安神宮宮司さまの命日)に「祈望」という過去5年の平安神宮・奉納演奏が映像化されたので、今年は叶わないのかな、と勝手に想像していました。

参拝者向けに「奉納行事開催の為 9月2日(水)~9月6日(日)」と看板が立って。3日・4日と夜に正門の外から光の柱が目撃されて。ああ、と心中で想い、9月10日にジャニーズネットオンラインで配信されることが発表されました(生放送でなくて、数日見逃し配信があって。が、堂本剛だなあって。この前に、小喜利の私が後輩(辰巳くん、松松のお二人)くんと4人で2回もお送りした時も、事前撮影・字幕あり・1週間の見逃し配信あり、で、ああ安心と信頼の堂本剛だな…と思ったのです)。

そして、9月26日、20時。70分の奉納が市井に公開されました。

 

 

 

映像は奈良の街並みと、平安神宮とその空を映した風景と、剛さんの言葉から始まります。

普段音楽を納めた後、説法のように語ってくださるときのような訥々とした声音。今置かれた難しい時代だからこそ、私達はヒトツにならねばと説く剛さん。

公演前のお祈りの風景。衣装を纏って、二礼二拍手一礼。つい、剛さんの動作に合わせて画面のこちら側で身体が動く。

さく、さく、と、境内の砂が歩みによって擦れる音が聞こえる。平安神宮さんを歩いた時のあの感触を思い出す。剛さんは大極殿から歩み出て、振り返り、御霊へ向かって声を送る。伸びる声音はまるで篳篥のような、まさに雅楽器の音に酷似したそれで。女声と楽器の音色と剛さんの発する音が溶けて重なってヒトツになる。剛さんの声、ほんと人間の声じゃないみたいだった。尊くて尊ぶべき音。心がひとりでに震える音。

 

*ヒトツ

ひとり、大極殿を向いたままの歌唱。どうしてだろう、そう歌う剛さんの瞳は光を反射して。金色のスモークにに溶けた姿は輝きの中で歌を納める、人でない特別な存在のような。大極殿から伸びる青や緑のレーザー。神の輝き。俯きながら、空を見詰めながら、御霊に思いを馳せながら、光の粉の中で歌う剛さん。だんだんと夕景、宵が夜に近づいて、纏った和装の羽織が紫に蛍光色に反射する。空には時折雷が走って、ああ堂本剛が京都に立っているのだなと強く思う。横顔と、全身と、平安神宮の入り口から撮ったような引きのカット。点在する照明の中、ただひとりで音の中で、想いを吐露するように歌う剛さんがそこにあった。

 

*HYBRID FUNK

じ、と大極殿を見詰めた後、振り返り背を向け歩き出す剛さん。袴のようなワイドなボトムスは紫と金色に、玉虫色に艶めいて、歩みに合わせて腰に結んだ紐とタッセルが揺れる。

それから剛さんは枯山水、六重の円の真中に立って。口元には新たにレース地のフェイスベールが。ふ、と腕を上に掲げると篝火が立って、祈ることを生業とする神官のような、人ならざるもののような雰囲気を重ねていく。バンドメンバーさんも映るようになって、言葉を挿げ替えたHYBRID FUNKがはじまる。円の軸の中で、身を腕を脚を揺らす剛さんの姿は祈りを捧げるそれのように。

 

*MusiClimber

剛さんは六芒星の要に。ステージの真中に立って、バンドメンバーさんが剛さんを向く形で周囲を囲む。コーラスは剛さん同様口元を覆って、ギターのお二人は目元を覆って。普段は客席になっているであろう場所。ステージには電飾が埋め込まれていて、六つの三角を表すように、線を図形をサイケに闇を照らし出す。照明と、大極殿の屋根に映る照明と。剛さんが醸す色彩の宇宙に溺れて、歌声にトリップする。360度ステージの凄さ。ドローンが飛んで、剛さんの周囲を飛び回って、赤に黄色に照明に照らされ歌う全身を切り取って映し出す。最高に恰好が良すぎる。360度カメラ、剛さんのパフォーマンスではたぶん初めてだけれどこれめちゃめちゃすき。ほんとかっこいいの極みですよ。テクノロジーの進化に心底御礼を宣いたい。

 

*愛 get 暴動 世界 !!!

MusiClimberの音を生かしたまま突入する(過去のライブでもあった最高のあれ)。大極殿の屋根には表情のない緑色の人の顔が回る。赤と黄色と激しく明滅する光の魔法。ドローンで足元から背中から切り取られる剛さんのステップにまた惚れる。幾億回目のまた惚れる。勇者を待つな、と世界を切る剛さんの一挙手一投足に惚れる。歌い終わり最後、横からお姿を映すと、今回ヘッドホンは黒なんだな、けど右耳側にSankakuがいてにこにこする。マイクはCHERI印のマッドな紫。

 

*AGE DRUNKER

一度月を映した後、再開する音楽。剛さんはフェイスベールを外し。メロディが付け加えられた後、青色に光る世界から初披露された新譜。え~~~ん新譜からえいじどらんかー!!! 新譜がライブで披露されたことが嬉しいし、魂サイダーとかの血を引くこの楽曲がチョイスされたことも嬉しい。同時に、いま堂本剛が時代に訴えかけたいのはこういうメッセージなのだろうなと思う。馴れ合いとか妄信じゃなくて、地に足付けて相手を思って命をせよ、と思われているのかなと想像する。じゃダメなのよ、と顔の前で手を手首から左右に振る剛さん。時代に対する説法を剛さんは軽快に衒いなくそれでいて凄まじく格好良く刺し込む。そのソリッドさと洒脱さは年々進化しているなあと心が震える。

 

*White DRAGON

イントロで何が披露されるか分かって、またしても震える。剛さんが、ENDLICHERI☆ENDLICHERIと名を冠して、時代に世界に不条理と不都合に荒々しい表現を突き立てていたあの日の音楽が蘇って。言葉は様々に彩り直されて。「I'm your funky white dragon」が、「We are funky love alien」かなあ、アップデートされていて、最早何回目か思った回数わかんないけど、まあ格好良いよね。とんでもないよね。堂本剛

 

*Believe in intuition …

Gakushiさんのkeyからはじまるイントロ。4拍・4拍・6拍・4拍・4拍・7拍…のように変拍子でブレイクが重なっていく堂本剛特有のむず痒くなるような、爪で敏感な箇所を掻かれたような子気味良い音楽の後、奉納演奏常連となった楽曲が続く。剛さんはベースを手に、ボーカルは新たに参加された男声Katsu Sijimaさんと、Tigerさん稲泉りんさんオリビアさんへ任せ。4人は会場中央、横に掛けられた赤い橋のような構造物の上に並び立ち声を重ねる。剛さんのギターネックの頭で揺れる平安神宮さんの御守り。水柱が赤と青に光って、剛さんが爪弾く音色に導かれて、魂が京の都へ溶け込んでいく。ばらばらと昇る水柱。終盤、4人が、ん、ぱん、ぱん、とクラップをはじめて、そこに剛さんも手拍子を重ねていく。ツインドラムを後ろに背負って胸の前、それから腕を上げて頭上で手を叩く剛さん。腕を掲げることで、羽衣が肘まで降りて白い腕と打ち合う手と手がむき出しになる。二拍、冒頭捧げたそれに似た、掌を打ち合う音。祈りのような、誓いのような。前を向いて、それから瞼を伏せた様に吸い込まれる。コーラスの皆様が歌うメロディを口を動かす剛さんの横顔に惚れ惚れする。それから、剛さんキーボードへ移って、ソロでピアノのメロディ。そこにギターが乗って、弧を描く水に炎が走って。

 

*命のことづけ

この曲をいまいちど、剛さんが歌う姿を目にする日が来るなんて。イントロが掛かって身体が震えて、ただただ涙を堪えて瞳に焼き付けました。

剛さんは多くの時間、視線を空に虚空に天に宇宙に向けていて、瞳は途轍もなく艶めいて。あの日涙を零しながら赤い衣を纏って歌った剛さんの姿を否応なしに思い出す。あの日の音楽は、まるで消えそうな燈火を抱きかかえ守るような、一縷を掴んで手繰り寄せるような姿で。

イントロ、十川さんのキーボードの音が剛さんの歌声にそっと寄り添う。いま歌う剛さんは、瞳の艶だけは通じるものがありながら、水柱に虹色を映して、真白を映して、虹色のレーザーを背負って、あの頃よりも強かに確信を抱いて言い切るように、信じてみせるよ、と歌われていました。縋るような祈りでなく、祈ることを宣言するような。Gakushiさんのキーボードが入って、間奏は当時より意志と華やかさを持って鳴ります。

剛さん、水柱、大極殿と少し画角が揺れながら(ドローンを空中に静止させて撮っているのかな)映るカットがもう無敵過ぎて素敵過ぎて、なんだかこの世の光景ではないようで。観客のいない場所で、闇と自然の音と歴史的建造物という効果の中で、光と水と炎と映像と音楽と歌声を表すと、剛さんの頭の中で繰り広げられる光景の威力は途轍もないんだな、、ってエネルギーを目の当たりにしたような衝撃を受けた。剛さんの頭の中にはこんな見果てぬ世界が広がっているんだなって。

ラスト、首を大きく曲げて胸を反らして上空を見詰めた後、楽器が鳴りやんで、ふ、と身体を整体させた剛さん。少しだけ俯いた表情は解脱したような、祝詞の言葉を紡ぎ終えて少しだけ脱力したような、そんな面持ちに見えました。

 

*instrumental

弧を描いた水に炎が走って。剛さんはギターを掻きます。大極殿の天井には亜空間へ繋がるような視覚効果を齎す四角や丸が渦巻いていて。今回のセッションは、まるで世界一周するような、各パートが様々なジャンルの音楽を次々と重ねていって。いま私達はここから何処へも行けなくて、海外だけでなくこの京の都にすら向かうことができなくて。そんな私達を世界各国、様々な音楽へ連れ立ってくださる剛さんとバンドメンバーの皆様。音を鳴らすパートを指示する剛さんの運指は健在だけど、今回は各パート役割(表す国の音楽)がある程度決まっていたんだろうなぁと思う。そんな中でもこの自由自在さとしっくりくる感じとなにより皆様ご自身が音を楽しんでいるんだろうなあというのがありありとひしひしと伝わってくる。Duttchさんと白根さんのツインドラム(Duttchさん太鼓まで!)が贅沢過ぎだし竹内先生のチャイナかっこよすぎだし色々ちょっとジャンルが分からないのですがあ~国の音楽だね、ってよくわかる感じ。ラスト、剛さんのギターがフィーチャーされて、終演。

 

最後、もう一度、剛さんお一人でお参りを。普段剛さんと皆さんで二礼二拍手一礼をすることを頭に浮かべながら、剛さんの身振りに合わせて一緒にお参りをしていました。

 

 

 

災禍の中にある世界で、剛さんが奉納したのは意志だと思いました。ひとりひとり立場が違って、考え方が違って、触れ合うことが分断されて、誰かは愛する人にも会えなくて。それでも、そうだからこそ、私達は互いを信じ、敬い、ヒトツになることで明るい明日へ到達したいのだと。神様仏様へそう宣うような、そんな時間に感じました。

(あくまで個人的なかつ現段階での主観、憶測、感想です。)

 

セットを組み、ドローンを含めカメラを回し、照明や特効を織り成して。生のライブと異なる点としてカット割とミックスを介すことで、剛さんが視覚的に、聴覚的に形どった奉納の様に、終始引き込まれ圧倒されて。映像美と音楽のバランス(最初PCとヘッドホンで聴いたのですが、音の厚みと位置とバランスが凄まじかったです)を目の当たりにして、剛さんが、剛さんの表現が好きだと、ライブ映像という観点では久方振りに感じることができました。幸福で恍惚で身の引き締まるような音楽でした。

もうひとつ。本来ならば、きっと今年も観客を入れて、同じ空気を風を湿度を感じながら浴びる音楽ですが、それが叶わない代わりに、堂本剛の才能と実績と、脳みその中と外をまざまざと見せて頂く体験になりました。いまこの環境で何が叶うのか。剛さんが描く表現を浴びた幸福な夜なのです。

またいつか、同じ空の下で剛さんの音楽を感じることができますように。