The love that breathes

例えば空を見上げるような.

みずをつかさどるみこと

※書き途中ですがタイムアップなので一旦上げさせてください。

 

 

2018.8.31  堂本剛 平安神宮 2018 (1/3日目)

 

 

うるわしく美しく堪らなかったよ。公演中は終始伏し目がちで、度々前髪を撫でる仕草に息が止まって。水と光を纏った剛さんはさながら神さまの遣い、或いは最早水神さまの化身のようだった。雨を避けた剛さん、素敵な時間をほんとうにありがとうございました。

 

 

身体が向き合って、そんな訳なく認識し合った錯覚を持つくらいの勢いで。同時に万に一つふたりだけで向き合ったりしたら、望まれることがあれば心臓を喜んで差し出してしまうと思う。自分の心臓を小さく感じる程、それくらい、どうしようもなく魅力的だった。

視界に人がだれひとりも居なくて、視線の先にはただ剛さんが居て。夢のようだった。時折顔をこちらに向けて(少しだけ見下ろすような角度で)虚脱のような、虚無のような、目の表面にも表情筋力はこもっていないけれど奥と体内には様々が渦巻いている表情をされることがあって。シンプルに飲み込まれるかと思った。その体内に、オーラに

 

 

お衣装黒と灰色?銀?のハーフの袖アシメ羽織、短い方は肩口まで。長い方の裾は黒で縁取り。後ろ、腰の辺りに黒い紐が伝って両端は垂らして。ハーフパンツと、お腹の下辺りに紫と白の強いコントラストの布(よく見えなかった)。首元クリスタル多めで、手首にいつものクリスタルブレスレット。時折前髪を撫ぜる仕草の色気が凄まじい。うつむき加減のこと多かったから複数回されていたけどほんとうにすさまじい

 

HYBRID FUNK

画角が向かってほんとに右側で、剛さんの前に上がる水柱も、水柱を背負って本堂に向いて佇む堂本剛の姿にみえて、それが始まりだった。衣装も相俟って本当に水の遣い、操りびと、水神の化身のようだった。かみさまの下、そこに立つ堂本剛だった。平安神宮に遣える巫女さまのような。

新譜①(宗流power)

メロウでローテンポでそれでいて熱のある曲だった。コーラス隊のラインが美しかった。フレーズの繰り返しが多い最近の作品の流れを踏襲していたように思う。

Believe in Intuition…

額の前で指を順々滑らかに折って直感を掴まえる様な仕草にときめいた。キーボードを爪引きながら、声を伸ばした時のマイクと唇の雰囲気、湿り気と慈しみと微かな色気を纏って音を切る、視線を落とすその佇まいに息を飲んだ。フェスの強い艶とは違う、平安神宮での麗しい艶

去な 宇宙

シャボン玉の演出が美しかった。これ見るとこれまでのライブでシャボン玉の演出があった公演を思い返すね。2年前のこれだけの日を跨いできたのだからとか。胸がくるしくてくるしくて堪らなかったことを思い返した。

位置的にはこれもシャボン玉の煌めきを目の前に歌う剛さんの姿がクリアに見える場所で。ただ大サビ~ラストだけ、剛さんの側にもシャボン玉が纏ってきていて。終演後装置に近づいたらシャボン玉の出る位置の前に送風機がついていて、歌うことが終わるときにこれを止めたから剛さん自身も包まれることになったのからと思った。

新譜②(Rootu)

インスト曲。剛さん新しい楽器を手にスティーヴさんとセッション。またひとつ、言葉でない表現を手にされたのだなと。

空が泣くから

今日涙堪えに堪えた曲①。「あの日へと戻ろう 龍の背に乗って」といまの剛さんが歌うと色々なことを思う。無を願う剛さん、きっといつか白く蘇ると信じている。

水の演出が際立って素敵だった。水も光もシャボン玉も、剛さんの耳を妨げるものではないのだな。

あんまり空を見上げる瞬間がなかったから、立ち止まって頭を上げてて印象深いんだけどテントの中だよなぁと思ってみてて、最後にご挨拶きいてこれ要らんかったやん…とか思ってたのかなって空想したり。あとは初日で歌うことに集中されていたのかな…と思ったり。

最後のロングトーン、ラストだけ張る感じでなく細めに伸ばされていたけれどあとは原曲からリズムだけちょっとだけ後ろ倒しにした感じで、キーとか声量とか耳を患っていても当時と遜色ない声色だった。耳のことを度外視したって、純粋に美しくて堪らなかった。

いとのとち

多分初生聴きだった…はず…!すごく嬉しかった。この辺りからああつよしさん、この曲たちはいまも剛さんの傍に姿を表せる形で寄り添っていらっしゃるんだな、と思いあたたかい気持ちとくるしい気持ちで胸がわけわからなくなりながら、剛さんの歌声に酔いしれていたように思う。

豪太さんのドラムと平安神宮さんの相性が凄まじくよくって、大サビ入りの「♪いとのとちの」の歌い方がとても緩急ついていて、その凄まじく後ろ倒しなノリにぴたっと重なった豪太さんのドラム音がひとつになって、今も耳に残っている。

Be grateful

凄く「愛」を感じるセトリだなと思っていた。愛にも様々な色や形があって、けれど剛さんが大切にしてきた愛は若いころからそう大きく変わっていくものではなくて。あたたかく誰かの悲しみに寄り添うぬくもりなんだと。落ち着いたあたたかな声色、言葉をひとつひとつこの場所に大切に置くような歌声に包まれていた。「別れる日は訪れる」とか、最後のご挨拶を思い返すと、宮司さまへも贈る曲だったのかなぁといま思った。だからあんなに愛情とか敬意とかに溢れた歌声だったのかなって。泣きそうその②。

Rainbow gradation

泣きそうその③。ラジオの話もあって、実は飲み込み方を一人で惑ってた。平安神宮で本編最後に歌う剛さんの姿をみて、この歌の言葉は詩の場所場所で時空も空間も飛び越えているのかなと思った。愛が悲しみにしか繋がらかった若かりし頃、大切な存在が消えた日、僕と君も恋と愛も、それの間には沢山の瞬間が横たわっていて。

全体を通して、ヘッドホンを片方あげたのは2回くらい。音響指示出しは多分一度だけ、管楽器弾く指の仕草から指で上をさし音上げて、の指示を向かって右側に(確かセッションの時)。個人の感覚ですが2回くらいほんの僅かに音程がずれた気がします(ほんとうに主観です)。楽器は白ギター紫ベース、シンセ2台?にaFrame(スティーヴさんと!)。

FUNK SESSION

今日一番funkな時間。フレーズ決まったものにどんどん乗せていく感じ。平安神宮で奉納演奏、ということもあって終始緩やかな動き(除く楽器演奏に集中した時の揺れる身体と演奏する指元)の剛さんだったけれど、最後セッションの時だけテントの柱のせいでメンバーとアイコンタクトが取りづらかったのか、その時だけ指示出しの為あちこちさっさすたすた歩いてて可愛かった…←

コーラス隊4人が声を重ねた時とかステージ向かって右端にいらして凄い横顔近くで拝んだ。ギター弾いてるときも結構右寄りに立って体がこちらを向いていたり。伏し目のあの表情も正面から拝見したり。

(今日は雨除けテント外さなかったためもあり。2・3日目は最後せりあがる剛さんだったそうです。)

 

ツアーは直近のアルバムとアガる曲中心だったので、お耳のことがあってから今日初めて聴けた曲もあって。ああこの曲たちは今も剛さんに形にできる姿で寄り添っているんだなと胸があたたかくなった。同時に、この曲は歌える、歌えないと線を引く剛さんの姿を想像して至極自分勝手に胸がくるしくなった

 

 

ご挨拶 

つよレーダーでは雨降らないと言っていた、スタッフさんに言ったんですけどね、と。何回も降らへんかったなぁって後ろ振り返り振り返りで上向いてて可愛かったし、そうだねって相槌打ってた渉くんも可愛かった。つよレーダーって単語自分で考えたのかな、セッションとか音聴きながら降らへんなぁとか冷静に思っていたりしたんだろうか。めさめさ可愛いなぁ…。一度テントの中で客席に背を向けて、自分のテントとひとつ後ろのテントの境目辺りをじっと見ていた瞬間があったけど、あれなにみてなに考えてたのだろ…

皆で二礼二拍手一礼をしました。それからバンドメンバー紹介もあり。皆さんはけられてから真面目な真摯なお話をされていました。

過去は相手に愛を贈っていて、けれど自分が壊れてしまって、それで自分を愛する事の大切さを改めて考えた(とてつもなくニュアンス)と話されていて。その「壊れてしまって」という単語が胸に刺さった。それは剛さんの耳の、身体のことを指していたのか、心もぜんぶを意図して言っていたのかな。

それでも自分を愛した結果、だれか、どなた様かが幸せになって(とてもニュアンス)と言える剛さんはやっぱり優しくてつよいひとだと思った。自分を愛する事にも目を向けるけれど、それで誰かを愛する事を蔑ろにする気は更々ないんだなって。志の道を歩む剛さん、剛さんはそれを叶えるひとなのだと思う

 

少し掠れた様な声で(人が涙を堪えている時の声色と似ているけれど真相は分からない)ゆっくり大切に丁寧に言葉を紡ぐ剛さん。宮司さんのことも教えてくださった。サマソニで音楽を説明なく体現したのとは相反して、再びこの平安神宮という場所に立ち歌い奏でられた事の嬉しさやあたたかさに包まれている、そんな印象だった。本当によかった

 

 

公演後、奈良に移動していた電車の中、ご挨拶で話された通り雨降ってきたよ!剛さん!龍神さま! 

 

 

今回初めて最前で拝聴させていただきました(自名義…!)。ステージ右端で、初日向かって左手にシンセとかが置かれていたために結構右側いらして演奏してくださったこともあって、なんかもう堂本剛の指先から唇から太腿から睫から右腕から毛先から…みんなみんな眼に脳裏に焼き付けようと必死に蠢いていたなぁと思います。しかし例によって瞳孔ぱーんなっていたので仔細覚えていないのでした('ω') 

直近のツアーやフェスは今の剛さんを表すセトリだったかなと思うけれど、平安神宮さんでは今の場所から過去を振り返って見詰めたような…なんというか、前へ前へ腕を伸ばすのでなく、立ち止まって後方へ視線を投げたような、そんな感覚がありました。

テーマと選曲がこんなに合致してメロディアスに響く公演ないなぁと思った。最後にテーマを聴く前に、曲を聴きながら愛という言葉が様々な彩り角度で歌われるなぁと素直に思っていて。ご挨拶とセトリを反芻すると色々な事が腑に落ちた。いま外向きの怒りでなく内向きのエネルギーへ還る堂本剛は凄いな…

これから先様々な景色を歩き続けていかれるその先、どうか剛さんが願う様々がひとつでも叶うように。祈ることしかできないから、祈りたいと思います。優しくてつよい剛さんが笑顔になれる日が、どうか一瞬でも一日でも多く未来にありますように。

 

おまけ

東大寺さんに伺った際に中学生のご一行とガイドさんがいらして、ガイドさんが「今月堂本剛がライブするんだよ?」って説明してて。生徒さん達が「堂本剛!すげー!」とか、女の子が「いいなぁ堂本剛くん来るんだ!」と隣にいた引率の先生にきらきらと話したりしてて…すっごく幸せな気持ちになったよ。

 

 

 

 

以下利己的な独り言(横柄で横暴です)

どうしてこれまで心をころしたり押さえつけたり意志を噤んたり捻じ曲げさせられながら、それでも懸命に懸命に真摯に生きてきたことを悔やまなければならないことが起こるのだろう。誰かに害を与えるようなことを彼がしたと言うのだろうか。神さま。

剛さん。叶って叶って叶っていきますように。未来が剛さんの手の内に収まっていきますように。都合のいいことばかり起きますように。

こんなにこんなにこんなにも困難が訪れるのだから身勝手に身勝手に願うことくらい許して。大好きで愛して愛する剛さんのことなんだもん。

 

あと昨日のラジオと3日間のご挨拶を聴いて、至極主観だけどKinKi Kidsは今年冬コンをドームで執り行うだろうと勝手に思った。来年のことを考える時期というラジオ、パフォーマンスという表現をしてできないことがあると話したライブ。剛さんと光一さんの、KinKi Kidsの表現を、冬を心待ちにしている

同時に″皆が求める堂本剛″という表現をされる今の剛さんは、耳の事で迷惑を掛けるからという理由でKinKi Kidsを解散する選択肢を取る事はないと思った。正直今年靄の中に感覚があった時期もあるけれど、あんなに他人が求める自分の話をする剛さんが全てを放り出して新しい世界に行く事はないのかなって

上記、とても個人の感覚だし願望も多分に入っているとおもうけれど

剛さんの言う″皆さんが求めてくれる僕″の「皆さん」は誰を指すのだろう。剛さんを純朴に愛する人達は剛さんが叶えたい未来を願っていると思うのだけれど。「KinKi Kids」の味方か、周囲の大人の一部か。隣のその人ということは無いよね、剛さんの中であのサブタイトルから違う世界が巡ってはいないよね

剛さんが願う未来が叶うことを祈る人達の存在、SNSを見られる剛さんの目に触れる事もあるのではないかなと。様々な声、画面の向こうの私達には聞こえる事のない言葉も山のようにあると思うけれど、どうかこの声が、重荷でなく祈りとして、剛さんに届きます様に。剛さんが笑顔で居ることがただ幸せです。