The love that breathes

例えば空を見上げるような.

悲劇に至る病とその先で齎される光について

2023/5/19 Endless SHOCK @帝国劇場

 

観劇して参りました…!

コウイチとヒロミツ。陰と陽、どちらがなにを選んだことであの悲劇に至ってしまったのか。それをより深く濃く、苦しく考え、同時に悲しみの中にも光を齎す物語を改めて抱きしめたくなるようなSHOCKだった、と今も思い返します。

 

個人的に、前回の生観劇はちょうど災禍が始まってすぐの2月で。その公演は千穐楽に至ることなく、途中で時間が止まってしまったと記憶しています。

それからインスタライブで携帯手撮りした公演配信(画期的で革命的で衝撃的で。あの時代あの空気にあれを成す堂本光一というひとを心底尊敬して、やっぱり敬愛して。その中の1シーン、2階席に立つその瞬間、スマホを持って飛んでくださるあの感覚がすごかったなあ、忘れられないなあ…)、Endless SHOCK eternalの発明と上演、本編の配信等々、様々、あの難しい時間にSHOCKという命の舞台を、光一さんが様々に色も形も様式も変えながら、その時代の世界を踏まえた作品に成していく様を見続けて。同時に、劇場でしか体感できない、あの高揚感を焦がれ待って、ようやく迎えたこの春だったのでした。

今年は4月がライバル佐藤勝利さん・オーナー前田美波里さん、5月がライバル北山宏光さん・オーナー島田歌穂さんのダブルキャスト体制。そしてEndless SHOCKとEndless SHOCK eternalの同時公演(例えば、マチネが本編・ソワレがeternalのような)というSHOCK史上初の公演形態がとられています。(脱線:SHOCKのインスタアカウントでキャストがコウイチさんとの裏話を語ってくれているのですが、その中に本編とeternalで2幕が板付きかそうでないかが違うそうで、1か月半くらいの時点で光一さん4回くらい間違って認識して準備してなかったことがあったりしたそうです。まじですごい公演だよなあ…まじで…。)

 

 

初ヒロミツライバルだったのですが、ライバル像の解像度、ベクトルがこれまでのキャストとまた大きく異なっていて。コウイチと並行に走り続けながら、けれどいつまで経っても追いつけず追い越せず、その歪みがあの悲劇につながってしまったタツヤ。コウイチと重なるように、その背中に焦がれ追いつきたいと走り、けれどその光が遠く遠く離れてしまうことに耐えられなかったショウリ。私の中では、2人のライバルはコウイチの”正しさ”に対しそれぞれの影や闇、嫉妬や劣等を映し出していたように見えていたのですが。ヒロミツとコウイチは、きっとなにかほんの僅かが違えば、陰と陽が裏返っていたというか、コウイチに圧倒的な正しさを感じるというよりも、ヒロミツというライバル側にも共感や光を感じるような、新しいライバル像を目の当たりにしたような気がしました。

なんというかこう、ある意味、続けろよと言ったコウイチが暴走している側に見えたり、コウイチの演出がカンパニーにミスを誘発させている発言に説得力があったり。刀を本物にすり替えたヒロミツは決して犯してはいけない過ちをおかしてしまっているのですが、舞台上でそれに気づいたコウイチが、演目を続けるにしてももっと違う形であのシーンを収められていたら、自分の最期をあんな風にすることはなかったのではないかなと。そういう意味で、陰と陽、表と裏、どちらがコウイチでどちらがヒロミツになることもあり得たのではないかと。そんな風に思わせる、感じたことのなかったライバル像を目の当たりにしたのでした。(歴代最高のライバル、とSNSで表現する方がいるのは、そういう新しい解釈というか、コウイチが公明正大な絶対的な正義でなく、コウイチとライバルが互いに少しづつ誤りを重ねてしまった果てのあの悲劇だ、と見えたことに拠るのかなあと思った次第でした。)

 

 

ヒロミツは演技にも歌声にも安定感があって、振りのキレとか緩急とかもしっかり、SHOCK2年目かつ流石長年活躍してきた芸能者でした!ライバル役は喜怒哀楽の中で、怒に寄せる選択と哀に寄せる選択があると思うのですが、ヒロミツは哀のきめがとても細やかで、ある意味特殊なストーリーにおいても物語に確りとした説得力をもたらしていました。

あと個人的に凄かったのが、私は光一さんファンでしてついそこに照準を合わせてみる(双眼鏡にしても、肉眼の焦点にしても)のですが、一定程度の回数、板の上に光一さんがいるのに、ヒロミツがどんな表情をしているか見たくて堪らなくなって、双眼鏡をヒロミツに向けたことがありました。これは、これまで見てきたライバルは、比較的感情の緩急が見えやすくて、コウイチがこんな事言ったらこんな表情してるんだろうなあの想像がついたことで、脳内補完して結果フォーカスしなかったのだと思うのですが、ヒロミツは感情の緩急がきめ細やかで緩やかなことで、いまコウイチにこんなことを言われて、ヒロミツはどんな感情を抱いてどんな表情を見せているのだろう…!と気になって仕方がない=コウイチが視界から外れると思っていても、それでも一瞬ヒロミツだけを見る、という場面がありました。私事的にはめっちゃ画期的というかすごいことで、SHOCKという舞台が、あらすじは同じ物語を辿っても、演出や音楽や、コウイチ以外のキャストのアプローチ変化やそれを受けたコウイチの変化を、毎年飽きるなんてこととは無縁に何年も何度でも体感したいと思う一つの秘訣なのだと思います。

 

リカ役は乃木坂46中村麗乃さん!上品さを底に敷いた上での明るさや若さが感じられて、コウイチへのきらきらした想い、心の中にある恋なのか憧れなのか、まだ名前も判別もついていないような思慕の気持ちが仕草や声色にたっぷり綺麗に表れていました。過去演じられた先輩の数名にも感じた、妹ラインなリカに見えるのでした(これは光一さんと実年齢差があるので、選択肢として適解ではと個人的に思っています)。アイドルさんなので踊りの見せ方、スカートのひらっと捌き方もとっても慣れていてお上手な方で、歌声にも凛とした、鈴が鳴るような若さとアイドル業に紐づく華やかさがあったなあと思います。

オーナー役は島田歌穂さん!最初の登場衣装の黒×ゴージャスなふわふわ羽根黒ストール(正しい名前が分からない汗)がとっても麗しく美しかった…!思わず双眼鏡でみた← ドレススタイルパンツスタイル、黒メイン白メイン、チェンジするお衣装が毎回気品と麗しさに溢れてて見入る(はーと)。威厳や母性というより、心情の機微を絹のようにたおやかにしなやかに表して、カンパニーにコウイチに寄り添う様が素敵でした。

 

 

冒頭、SHOCKのロゴが点灯して、それから暗転から光一さんのシルエットが浮かび上がり、姿がスポットライトに照らされる。この一連の光景がああSHOCKの世界に、この世界を生で体感できる世界に辿り着いたんだなあ…!と心底思って、冒頭から感慨が溢れまくって嬉しくて堪らぬ~~~!となっている間にヒロミツとオーナーとリカ(お三方とも生観劇では初めまして)が麗しい衣装と歌唱と踊りで登場されて、カンパニーがSHOCKの世界に誘ってくれて、幸福にあたまがぱーんてなった。美しく麗しく嬉しすぎる奇跡と現実に合掌…←

確かブロードウェイに遊びに行くシーン、ヒロミツが告白するぞ~~と燃えているとき、後ろでコウイチとリカが戯れてるの劇的にむちゃくちゃに可愛かった…!!!リカがスカート裾つまんだりとかの女の子な仕草を3種類くらい?するのをコウイチが同じポーズ追っかけっこでしてて、きゅるんってして&コウイチが真似してくれてるんるんな空気出して次の別のポーズ繰り出すリカもめちゃかわで、頭のうえに???を浮かべてる癖に困ったような笑み浮かべつつ真似っこするコウイチも負けず劣らずのぐうかわだったああああのシーンだけ永久にみてたら幸福の坩堝で心に平和が広がると思う。関連情報として、稽古中、光一さんが委縮する麗乃ちゃんに、毎日1回呼び捨て+あっち向いてほいしよう、って提案して実行するの、光一さん発想と行動と思慮がほんとすごくてすごい。こんな上司いたら惚れてまうやろ案件ですよ(おい)。そういうところからも、しっかり今年のコウイチとリカの空気ができてきたのだろうと思う。例えるなら、カードキャプターさくらの雪兎さんとさくらちゃんの関係性に、さくらちゃん根明&積極性振りかけました、みたいな甘酸っぱいやつ。

ブロードウェイでリカへの告白を遮られたコウイチに向かうヒロミツ、役者さんとしてのパワーバランスが近く見える2人(&年齢差とか感じにくい2人)だから、しっかりお互いがお互いにいろんなことを預けてキャットファイトしてる感じがこぎみよかった!このことはいろんなシーンに言えて、タイミング合わせるべきステップはしっかり合ってて(DoBの眠らない街ここで~のところとか、和太鼓のところか、他にもいろいろ)、ライバル役をコウイチが待ってたり合わせにいったりしている感じを覚えないのは(これは年齢が原因でなく、公演回数とか稽古回数とかに起因する気がするけれど)、観客としてはひっかかりなく滑らかに展開やシーンに感情移入できて、ありがたく大事なことなんだなあと実感した。

合戦のシーンのコウイチ最高具合は歪みなかった。あんな風に唸る光一さんをあの距離で生で観られる聴ける舞台ってほんとすごいしやばい。

階段落ち後、落ち切った後に縋るように救いを求めるように階段を数段上り、腕を階段の先に延ばすも途中でこと切れるコウイチと、階段の上から腕を伸ばしても(身体の動きがそうでなかったかも、ごめんなさい、いずれ意識が階段下段側に向いていて)階段の中断~上段にスモークがわたっていて、そこで決して届かない迎えないヒロミツとの比喩が、この世とあの世の境を表していたようでとても辛くて苦しい瞬間だった。

2幕、デトアラのコウイチ最高具合は歪みなかった(何回この言い回しする、でも、最高なのだ…)。

そしてシェイクスピア劇、コウイチとヒロミツが同じ衣裳で声を揃えるあの瞬間、まじで鳥肌が立った。あの数秒、まじでお願いだから夢の中で無限リフレインしてほしい。もっかいどころか何十回も目の当たりにしたい。もっと言うと筆者ここの展開がそもそもとてつも好きすぎでして、数年ぶりに生でコウイチに「絶望して○ね」と浴びせられて、生きてて良かったの気持ちになりました(一文にすると変に読めるのだけど感情の表現としてはは合っているという笑)。エタではこの辺削れたりするので、エタも見たかったけど本編を選んだ理由の1つがこれでした。(脱線:eternalを出演者が”エタ”と略称するの、このコロナのせいで生まれたスピンオフが1つの作品、1つの確りした演目に至っているの、すごいことだよなあ…)

オーナーとコウイチとヒロミツが別の歌詩を歌い別離が表されるシーン、オーナーとリカがそれぞれの悲しみを別の歌詩で歌い重ねるシーン。切なくて美しくて素敵だった。

コウイチが死んでいる、ってリカが気づき、オーナーが察し。リカのそこからの演技が素敵だった(困惑や受け入れられない心情から、少しづつ覚悟を決めて、最終的にコウイチにもカンパニーにも現実を向けさせるの、その感情の見せ方がとっても素敵だった)。さらに心がくしゃくしゃにしわばかりに丸まって小さくなった様を見せたヒロミツが、少しづつコウイチが齎す光を見て受け入れて、もう一度ステージに立ってくれと直談判するまでの感情の見せ方もほんと素敵だった。

座った席がちょうど2階席が始まる少し手前のラインで、ラダーフライングをするコウイチが迫ってくる様に息を呑むばかりだった。光一さん、けっこうこの時シンプルに苦しそうな表情も表れていて、いかに気力と体力と時間の経過の限界に挑み続けている舞台かということをまざまざと思い知った(そういう意味では、コロナウイルスのことをより一層恨み憎む。光一さんから数年間、このフライングを奪ったこと、公演回数+リハーサル分のフライングをする機会と、それを体現するための鍛錬を必要とする期間を奪ったことを心底憎む)。

やっぱりラストシーンは光だし、最後のご挨拶のシーンでバックして歩く際に歌穂さんの手を取ってエスコートする光一さんは激烈紳士で素敵が過ぎた(個人的に好きなあの黒に金刺繍お衣装継続で嬉しい!)。

ちなみに今年は終演後(そもそも初めからいるけど)、ウィリーウォンカの装いの光一さんが帝劇にいる年(秋に公演です)で、これまたすごいんだろうなあ…楽しみだなあ、チケとれますように。。。

 

 

 

帝国劇場の改修が発表されて、その時の、その先のSHOCKがどうあるのか。観客が今何かをしることはないのですが、だからこそこの1年を、この1公演を大切に大切に、この舞台があって光一さんが立ち続けている今に最大限の感謝を贈って。まだいまも難しい時代が続く最中ですから、どうか千穐楽までスタッフさんを含めたカンパニー一同が走り切れますように、と心から祈っております…!