The love that breathes

例えば空を見上げるような.

ふたりとひとり(音楽と人 読了) 

(読後の感情そのもので書いた文章ですので不適切な言葉回しや構成の不十分ご容赦ください。)

 

音楽と人。田舎でして、本屋さんに電話したら今日入荷しましたと言われ飛んで手にしてきた。読んでいる最中少し振りに雑誌のインタビューを読んで涙が滲んだ。長く1人の剛さんを記録してくださった方々が2人の剛さんの声を聴く。どんな言葉になるのかと期待していたら、やっぱりそこにあるのは2人の瞬間を凝縮したような、いつかどこかの雑誌でも近しい感覚を抱いたような、名状できない絆を感じた言葉だった。音楽と人をも以てしても、KinKi Kidsは「KinKi Kids」としてピンセットを入れられない、柔らかくて儚くてそれでいて確かに輝く塊のままだった。これは決して全く否定ではなくて、剛さんの変遷を良く知るライターさんにとって初めてのKinKi Kidsライブ、音楽と人にとって初めてのKinKi Kidsインタビュー。いつもつぶさに観察して顕微鏡で覗いてピンセットで解してまた角度の異なる煌めきを感じさせて貰っていた雑誌だからこそ。どの雑誌でも謎解きを試みた結果、肯定的に質問者から箸を置かれるのがKinKi Kidsだったから。問いたださないで 壊れるから、そう歌う2人が嫌がらない、壊れない深さまで。どこまでその麗しい糸を摘んで引っ張って光に当ててくださるのか。一人で期待して胸を高鳴らせていた、ただそういうことで。音楽と人という雑誌を以てしてもKinKi KidsKinKi Kidsであったことに途轍もなく感動した、というただそういうことであった。

大仰に書いてしまったけれどやっぱりその糸、その文章ひとつひとつを見れば語られなかったKinKi Kids、光一さんにとってのキンキと剛さん、剛さんにとってのキンキと光一さんがあることは確かで。特に1人の剛さんから剛さんを知った方が2人の剛さんへ訊ねること、その経緯を承知している剛さんからの返応。1人と2人を行き来する剛さんの言葉というのはこれまで余りなくて、貴重で、そしてとてもとても自然体で。キンキのコンサートは2人で歌うものとした剛さんの言葉を一昨年の光一さんが解いて、2016年は剛さんは1人の本流を表現することを退けて。そして2017年、置かれてしまった状況もあれど、その真奥を真正面からそのステージで表した剛さん。個人的にはもう1人での表現を、己だけの魂の表現をしたくてしたくて堪らなかった、今は場所を問うよりも先に、音楽を続ける自身の今を堂本剛ファン以外の人も居る中であっても表現せずには居られなかったのかもしれないと思っていた。実際はこんなに感情的な経緯はなくて、ただ1年前届けられなかった1人の歌を限られた時間でも今ファンに見せよう、なんて思いを働かせたという世界なのかもしれないけれど(受け手にとってとても関心のあるこの心境の変化、1人と2人を追い続けていないと持たない視点だから…どこかの雑誌さんで質問してくださったらいいな…とつい謎解きに想いを馳せて、好奇心を持ってしまう悪い癖)。こんなステージを経て、経緯を知るひとの前では1人と2人の境目が少しずつ融けているのかもしれない、その剛さんの変化についてもあたたかい気持ちを覚えた(これも実際は外枠の変化で、ただこのタイミングで柵が取り払われたとかそういうことかもしれないけれど)。

重ねて初回から堂島孝平さん(どんちゃんとお呼びして良いものか、堂島くんかさんか、いつも迷っている)へのインタビューを連ねてくださったこともとても嬉しかった。光一さんも剛さんも当事者であるからこそ語らない場面も多く、その行間を、その舞台裏でどんな遣り取りがあられたのか、2人に近しい2人以外のひとから2人がどう見えるのか。語ってくださる貴重を元からご縁のあられる音楽と人さんが選んでくださったことも嬉しかった。2人の真意が語られることはない、けれどそこにあった事実を読み解かせて頂けることは本当に贅沢だと思った。 

一読者の願望として、これからも音楽と人さんには1人の剛さんと2人の剛さんを変わらず見詰めて頂けたらなぁととても思う。そこにある経緯を見詰めた踏まえた剛さんへの問いかけ、そしてそれに応する剛さんの言葉。今まで訊かなかったこと、語られなかったこと。好きな人を知りたいという一ファンの好奇心、ただ単純な感情の動きだけれど、剛さんにとって邪魔だったり煩わしくない範囲だけでいいので、その言葉を聴いてみたい。何が好きなの?どんなことを思うの?その時どうだったの?恋の始まりに抱くような関心をまた新たにひとつ、これからの可能性に抱かせて貰った気持ちです。16年目、言葉を交わしたことすらないのにこんなにも愛したひとへ今でも変わらず瑞々しい愛情のベクトルを抱ける、贅沢で幸せな気持ちを。

本当にありがとうございました。

 

 

追記:

編集された方がどこまで経緯をご存知か分からないけれど、表紙に採用された写真がこれまでの光一さんと剛さんの定番が逆になったカット(光一さんが動で剛さんが静)というのもひとりですごくぐっと来ていた〜〜是非を問う気は更々ないけれどこれも剛さんの耳のことがあられてからの変化かもしれない。復帰初回のテレビジョン、光一さんが剛さんの背に添えてるの胸にきたもんな〜〜。。

光一さんの作曲、堂島くんの「才能のあるメロディメーカーだから、書かないのはもったいないな、と思ってたんです」という言葉それです〜〜!ってなりました。そして「前のクオリティを超えたいいものが作れる確信がないと、曲を書きたくないんですよ。それってすごく正しい。」と言葉が続いて、その心境を理解して承知した上で、それでもしつこく光一さんの好きなコードを変化させて投げ続ける継続した愛情を持った堂島くんあってこそのTopaz Loveだったんだなと…もう何度目かの拝み倒しせざるを得ない案件でございます(*´人`*)

あとテキストページに載せられたソロカット、それぞれの正面に相手の手が重なっていてこれもKinKi Kidsを素敵に視覚化しているな〜〜と。本人自身なのだけれど、そこには相手の存在を意識的・無意識的両方含め感じながら2人があると言いますか…。あと単純に2人の手も凝視した〜〜身長とか小柄なお2人だけどパーツパーツで成人男性だって強く感じることがあって手もその中のひとつだなって…節立ったその手が触れるものに羨望を覚えたりして。

(この紙面は読む度読む度心に引っかかるワードが浮かびあがってきて、そうだよね~!とかそうだったの~!とか逐一感情が動いて幸せである。たぶん読み返す度追記が増えるというか。そういう記事を読めること、それとライターさん主観の言葉が綴られているページがあることが音楽と人っていいなと思う。その方自身の人間性が深く問われる雑誌だよなと思いつつ、いつもそのテキストに感動したり、共感したり、新たな気づきを頂いたり。単純なファン以外の方からKinKiが、剛さんがどう見えているか。ラブイズブラインドの外にいる方から最愛の方がどう見えるのか。ここに関心を持つこともやめられないんだな…。)