The love that breathes

例えば空を見上げるような.

あなたはわたしはきょうをいきて、

LOVE FADERS/ENDRECHERI

2020.6.17 out now !!!

 

 

以下、感想と独り言と空想妄想と言霊と祈りと、一括りにするなら堂本剛さんへの愛の言の葉たちです。

時々夜半のテンションでゴーイングマイウェイしますので戯言言ってんなと思ってどうか叱らないでください。

 

 

 

*LOVE FADERS (Inst)

宇宙遊泳。邂逅。無重力。幾許かのくらやみ。こもって少し遠くで鳴る楽器たちが剛さんの見ている視界へ世界へと手招きして、引き寄せられる。剛さんのアルバムはインストで始まる盤が多いけれど、こういうテイスト、刺激的でもなく煽情的でもなく、ふわふわと揺れるようなサウンドのInstはついpencil/[si:]を想像して(あちらの方が繊細で硝子のようで刹那を覚えて霞みのなかにいるイメージだけれど)あたしは心が揺れて振れてしまうんだなあ。琴線に触れて。剛さんの心の大切なところが形になっているようで。

 

*Everybody say love

剛さんがぎゅっと両手に握った音楽のかたまり、アルバムという形に抱きしめた音楽たちのインスト明け1曲目が陽の気を纏っていて、瞠目した。先にLyric Videoがtsuyoshi.inや公式Twitterで公開されて(宇宙に歌詩が飛ぶ。嵐さんもしていて現代の流行なのかしら。本人がいなくても、伝えたい言葉を視覚的に表していて、このコロナウイルスという惨禍の時代にも適合しているのだろうなあと勝手に思う)もうこの時点で最高すぎる、「軽妙洒脱な浮遊感、それでいて地球の大切な理を歌い結う感じ、いま好き過ぎて無限LOOPしたい」と書いた2020/5/19。2020/6/17に聴くこの曲がはじまりのうたになるなんて。HYBRID FUNKも、NARARIENも、二択するなら陰の気を纏っていて。剛さんが見ている、感じている世界がいまここにあるのだなあって感嘆した。

音楽の話をしたら、圧倒的に宇宙だし、言葉はこんな風になってしまった時代にそっとでも確かに視線を投げかけるもので、勿論この音楽ができたときに世界がこんな風になっているなんてだれ一人思っていなかったけれど。剛さんが昔々から話し説いていたことに、ようやく時代の関心が少しだけ追い付いたのかな、そんな感じ。もっと短絡的に書いたらノリが最高過ぎて身体が揺れる。スタッカートの使い方がアクセントになっていて、メロウなムードに入る時とのギャップが癖になる。冒頭含め、唸るギターが圧倒的にかっこいい。ラストのlove、巻き舌気味の発音がかっこいい。

「君を責める僕は終わりさ」、ここで言う僕が剛さんなのか、他の誰かなのか、知る由はないけれど。時々剛さん、私たちは勝手に高潔ぐらいの勢いで剛さんを見詰める時があるのだけれど、時々こういう市井の俗人のような仄暗さをさも自分も持っているような視線で言葉を綴るから、考えてしまう。きっと解けない、解く必然性のない思考。

 

*FUNK 一途 BEASTS

初回盤ではラストの曲に位置が変わっています。TFASがFUNKに一途なBEASTSで、きっと一緒に音の渦で揺れるオーディエンスもBEASTSだよ、って言ってくれている曲。一匙の卑猥と、手練れが肩の力を抜いてけれどファイティングポーズは心に携えながら、相手に立ち向かう様を連想させるリリック。前作のような青い炎、怒りや憤りといったものからある程度解脱して、次の次元として、それでもLove Fighterである剛さんの今の姿勢があるのかなって思っています(勝手自己解釈)。

Mr.Whoこと竹内朋康センセイがRapを綴ります。楽曲として形になったのは初!祝!ママ指=人差し指と小指を立ち上げたらFUNKサインじゃないですかセンセ!それを右から左にSlideしたら最高なオーディエンスの景色じゃないですか。誇りな東洋、とか日本人がFUNKすることへの自負を感じます。あとすっっごく蛇足だけど、過去公演で竹内先生がラップ繰り広げたときに、リリックが浮かばなくて「♪感じること~感じること~」て連呼してそれを聴いてくふくふ笑う剛さんというhappyなシーンを回想した。言うて最高。それ含め最高。

この曲もそうですが、今作結構歌詩に起こされていなくて、けどリフレインするフレーズがある曲が複数あって、剛さんこれなんて仰っているか、どうかどこかで解説してくださいませ…何卒…。

 

*CREPE

キターえっちいTsuyoshiDomotoキター>△<♡♡♡↺↺↺(テンアゲ) なあんで剛さんは今も昔も、こっちが動いてるのに完全に主導権は自分にあるよ、ってカオするのかな。いやそれが真実で現実で間違いない不文律なのですが。甘んじてというか望んでそれを受容するのですが。前作で私達は溶けて濡れて沁みるButterになりましたが(すごい一文、@4 10 cake/NARALIEN)、今作では下品さゼロの淫靡の伝道師堂本剛がCREPEになります。ねーーCREAMってなんの比喩ですかーーー堂本剛というCREPEの中に包まれたまだ甘くないCREAMってなんの暗喩ですかーーーー私達はなにを弄って、食べて?と煽情されているのですかあ…さいこうです…(ばっちり調教されている脳味噌の図)。でーん!と軽いどや感で終わるラストもなんかいいよね。堂本剛が自分の身体をどやってるみたいで。間違ってない。1ミリも垂れて零したくないCREPEだもん。

ここまで頭沸騰してますが、初回盤にMVが付いてきます。女性ダンサー(Twitterで前作の楽曲等でダンス見せてたfamilyの方というなんとすごい現代)4人に囲まれて、剛さん敬愛のジョージ・クリントンオマージュのもこもこ青赤白毛皮にエンドリケリーにアレンジしたハット、スチームパンク的ゴーグルを装着してぎらぎらの中で身体を揺らすENDRECHERI。それだけでもパンチ威力半端ないですが、言うて何より性癖なのが少し装備外してシフォン?的なの掛けられた椅子に掛けて顔を露出させてフェイスペイントにアイメイク(クマ気味)施した堂本剛御大がえっちのかたまりのカオして、両手の人差し指と中指を波打たせて、左右から近づけて目の前で邂逅させるカットとか。女性ダンサーさんに囲まれて帝王感出して鎮座するカットとか。視線外したと思ったら不意にカメラに向けて、またついって逸らすカットとか。全体の中ではほんの一部ですが、まあ堂本剛は自分への需要とご自身が表現されてたいことの重なった部分を外さずに狙って撃って墜としてきますね。めっちゃスクショした、スローモーションめっちゃみた(小声)。なにあの艶めかしいいきもの。あっ後半も感想沸騰してたわ…。メイキングもご馳走様でした。眼福です。

 

*MIX JUICE

一縷の緊張感を孕んだイントロから、更なる卑猥、更なるまさにその瞬間を紡いだ歌詩。ギターのカッティングがエロスを助長する。剛さんの緩急つけた歌声と意図的なブレス音、漏れるa、の音。みんなそういう時間に繋がって連想させて。残さず躊躇わず飲んでくれる甘酸っぱいMIX JUICEはそれなのかなあ、これなのかなあ。これ主語がね、冒頭はladyを見ているから男性側だと思うんだけど、曲の最後まで男性側なのかな。女性側に立ったりするのかな。唇を運んだ先はどこなのかな。エロスを比喩に包んで混ぜ込んでこんな果実に仕上げる堂本剛はどうなっているんだろう(なにがとは訊かないで)。こんな41歳ずるいよね。アイドル第一線で走り続けながらさ、自身の音楽では18禁なサウンドとリリックとボーカルでリスナーを煽情するんだからさ。私はTUを筆頭に堂本剛のエロス、世界観も耳を詰られる感覚も毛羽立つ心も大好きなんで拝み倒すしかないんですが。今作もたくさんの決して下品さのない卑猥をありがとうございます。けしからんもっとや(ry のやつですね(ほぼ言ってる)。

 

*Butter

ふあああ剛さん今度はButter側の歌うたってるううううこれ前作の4 10 cakeから世界観繋がっていたなら女性(受け手)側の歌になるんですけど、そうすると歌詩ラストの5行がほんとそのまんまのシーンに、そのラストシーンになって赤面どころの話じゃないです。リフレインするI'm butterが呪文みたいでさ、そういう時って反復しがちじゃないですか?何が?いやなんていうか?ね?それを彷彿としたんですよね…一定のリズムで刻まれるとたぶんラスト5行みたいな現象になったりするんじゃないですかね?ね?ねえほんとさ剛さん、これもしほんとに女性(受け手)側主語の歌詩だったらさ、なんでそんなこと手に取るようにわかってこんな風に表現してイメージさせることができるのかな…だって剛さん身体は男性じゃないですか?いくら女性脳だって自負しても凸凹で言ったらそちらじゃないですか?えーーーほんとにえっちですね…えーんだいすき…(更なる脳髄湧き上がっている感想)。弄びたいなあっておもってる剛さん(愛ある前提で)と弄ばれたいなあって、掌の上で転がされたいなあって思っているリスナーは需要と供給が合致してin the heavenな塩梅ですね?(意味不明)

こちらも別のサウンドで唸るギターが煽情的。スタッカートの聴いたドラムと浮遊感あるシンセ音がこれまたまあそういう感じ。皆まで言わない。

 

*此れ 其れ

もうここまで4曲ひいひいですね。こんなにこっちのムードの楽曲並べてご賞味あれって言ってくる堂本剛TU以来じゃない?私ほんと個人的な認識で、剛さんのソロの音楽はTUでひとつの到達点に達した、四季を一巡り巡り切ったようなイメージがあって、なんというかこう心身のバランスが一定程度取れて、力みや息苦しさや諦念や憤怒や落涙からすこし離れて、自然体な心身で音楽を作って奏でて表していたような気がしていて。ほんとアルバムとしてのTUも、映像化されている大阪城ホール公演の様子もほんとうに大好きで。トータルバランスで言ったら好きなアルバム第1位(なにか崖っぷちに立たされて、1枚選ばなかったらもう一生剛さんの曲を聴けないとかそれくらい追い込んだ場所に立たされて、どうしても選ばなきゃと言われたらという大前提の元選んだら。どのアルバムも違う大好きが溢れてる前提で)で、それでそこからGrateful Rebirthという今のところ最初で最後のミニアルバム、剛さんの表現欲が一側面溢れ切った後にどんな世界が待っているのかと、2度目の春はどんな自由と歓喜を剛さんに与えてくれるのかと思っていたら、授けられたのは更なる困難、片耳が海の底に沈むといういつまでも恨まずにはいられない落雷で。その場所でご自身を見詰めた剛さんはもう一度、エンドリケリーを抱き締めて、過去手を離すことしかできなかった宇宙と深海を今一度、LIからREと呼び戻して。HIBRID FUNKもNARARIENも暗を多少なり携えた楽曲たちだったけれど、その中には確かに明らかに、明るい季節の予感を感じる音楽もあって。それを経て今作のTU再来のような、また新しいバランスをとった、FUNK色を、表現したい世界を濃くしたLOVE FADERSという作品まで辿り着いたのかなって。ほんとどこぞに転がっている1凡人1ファンとして、心底嬉しく嬉しく感じているのでした。勿論このコロナ禍で、剛さんがFMB以外の場所で、雑誌等の対話相手がいる場所でこの作品を産んだマインドを知る機会は今のところないので、どのくらい剛さんの心と合っているか透かす術は全くないのですが。ぜんぜん違うかもしれないし(その時は自分を心底恥じます)。わからないけれど、兎角1人の俗人として、こんな音楽を表現したい(これは何より濃く深く、最後の「あなたへ生まれ変われる今日を」に帰結します)と思う剛さんの今に喜びの涙を流す今なのです。

えっと数光年先まで脱線しましたが、此れ 其れの話に戻しますと、まあ言わずもがな「戻れないで いい?」にぜんぶぜんぶ大半は濃縮還元されてますよね、こんなこと言い歌う堂本剛に邂逅する2020年の充足感やばいっすよね、なにこのキラーフレーズと溶けてく語尾と一拍置いた後に鼓動みたいに忙しなく掻き立てて刻まれるドラムのビート。あたしたちは堂本剛とその最果てまで、此れと其れで綴じて(これ意味は綴り合わせるって意味でさ、書籍の編纂みたいでちゃんと此れと其れを絡み合わせて綴じるって言うんだよね。なんてチョイスなの)、音楽の海の中に堕ちていくんだよね。恍惚だよね。あと「最初の煌めき 忘れないで 何度でも 輝こうよ」て、なんか今までの剛さんの文脈では浮かび上がらなかった過去への表現があるんだけど、とある方はPanic Disorder/ROSSO E AZZURROを捉えていたけれど、剛さんにとっての「最初の煌めき」は何時を、何を指すのだろう。過去を肯定してまた輝く、という文脈。或いは具体的な経験を指すのではなく、ただ色欲の中ではじめに重なった瞬間を、もう二度と訪れることのないはじめの結合の愉悦と歓喜を指すのかな。いくら愛し合うふたりでも、最初は最初の一度だけでもう互いを知らない他人と他人からそのひとときの感触と感情を味わうことは不可能じゃないですか。そういうことを指すのかな。だからどんな記憶も場面(ページ)も熱で曇らせて=曖昧模糊にして、最初の感動の隙にふたりで発つのかな。そういうことかな。

「愛」をフェイクのように歌う剛さんのVocalが背中の神経をなぞるように走って快感になる。明け透けに言えば愛撫されている感覚になる。ブラスが差し込まれてベースが蛇行するように走って快楽を助長する。あとラスト、剛さんの音楽では珍しくフェードアウトしていって、愛し合うふたりが隙に発って、水脈を此れと其れで綴じて(その行為の瞬間を表すなんてうつくしい比喩なんだろう)、戻れない世界にトリップしていく様を表すみたいで震える。

あとOriginal Editionだと、CREPE/MIX JUICE/Butter/此れ 其れ、この4曲の歌詩が見開き並んでエロスででろでろなページになってる。やばいなー堂本剛。最高だなー堂本剛

 

*Excuse me I'm honey

Limited EditionAのみ収録。このジャケ写、惑星を頭部に纏った剛さんの神々しさ。中身を開くと視線が合うんだからもう心持ってかれますなやーつ。楽曲はSankakuことクーさんVocal!わいわい!差し込まれるきらん✧˖°みたいなエフェクト含め、どんな意味があるのかな~~てなる。最後congratulation言われるし。蜂蜜をシェイクしたら何が花開く?

 

*Bubble dancer

Limited EditionBのみ収録。ぷくぷく。ばしゃーん。FMBでお風呂で聴くFUNKがほしい!というリスナーの声から生まれた楽曲。泡と踊る。 身体の澱みを拭ってお湯に乗ってbye-byeするBubble。音像も泡に包まれているような印象を受ける燻らせた感じ。

 

*Kun Kun Year!~Muscle Commander~

問題作。って言ったら誰かにどやされるかな…筋トレソング。私は「Kun」の意味を検索できなかったんですが意味ある単語なのかな、語感の話なのかな…?tsuyoshi.inにある日登場したアルバムcoming soonの情報とCommander。紫厚底ブーツに白のホットパンツ、タンクトップ、しゃかしゃかジャージと頭のバンド。サングラス。という様相の堂本剛。あっ思い返せば、その前にバンメンさんがエクササイズする様子にこの曲BGMにして漏れ聴かせて貰えてたのでした。だがしかし蓋を開けるとCommanderはまさに3分Commandするだけで、4kgのメディシンボールを足元にただ私たちを見下ろして徘徊して(歩きづらそうに)ポージングしてテロップで応援してくれるのでした。ちなみにアルバムに同封されていたDVDではこの格好でボルダリングする(わーぶんぶぶから繋がってるう)軽快な堂本剛が見られます。しかしなぜ顎をしゃくった。このこんにゃろ感あるCommander。

 

*AGE DRUNKER

いぇいいぇいどんどん来て迫るビートが昨年のライブでMusiClimber~愛 get 暴動 世界 !!!で最高にcoolでfunkでやばかったあの感覚を彷彿としてまあ最高で最高です。楽器たちに責め立てられるこの感覚がすっかり癖になっている。I'm gonna shou U how 2 FUNK@ライブver.然り。いぇいいぇい。

歌詩は魂サイダーの系譜。遡るとThe Rainbow Starだったり。剛さんのアルバムの後半、こういう天才的にさ、社会に対するメッセージを込めた歌詩を大量に畳みかけるようにリズムに乗せた音楽が在ると、あ~~~てなんか嬉しくてふるふるする。お耳の災禍があってから頭より身体の音楽に寄った時期があったから(可否の話だから誰もわるくないし操作できる話じゃない、ただ今回のこの曲を実現したそこにあったのは、ただ剛さんの日々の努力以外の何物でもないのだと思う、その結晶なのだと思う)、もうこういうタイプの楽曲を聴くことはないのかなって少し思っていたから、なんか余計に嬉しくて。

ほんと社会風刺の比喩がお上手だよね、時代のアルコールで吐きそうなんて。「愛す僕だけを 救えたら良いんだよ じゃ駄目なのよ」って言い回しもつよい。ほんと世界はそうなのだと思う。自分に対して「ぼろかすの あほんだらの ホゲ」ってかっこいいよね。それも自分を全否定する意味じゃなく、目覚めてないだけで、ちゃんと奥には在るべき人がいる前提で、目覚めてないという剛さん。誰にもきっと、眠っているひとも含め。そういう世界、人類、時代への善があるはずだと思って祈って歌ってくれるから。救われる。いま気付けていない人も、自省して、目を覚ますことを許してくれるから。堂本剛の博愛、性善説がここにある(真意はわからないから、心根からそう思って歌うのか、なにか制約や諦念があるかは、分からないけれど)。剛さんに恥じずに生きたいと思う一つの理由。あとあと人は愛の乗り物って捉え方もぐっとくる。愛は孤独で死に向かうことが生きること…真理ですね。

あとアルバム全体を通して感じたことなのですが、REケリー名義の過去のアルバム2作と比べて、ボーカルが音として少し前に出ているように感じました。歌声は音を鳴らす構成の一つという印象から、軸に歌詞と歌声があって、その隣や後ろをしっかり楽器音が包んだり支えたりしているような。ミックスやマスタリングで決めることだろうから、剛さんの意識の変化なのかな。単純に私の空耳かもしれない。

 

*I'm just me

「今日も きっと 良き日になるよ」という一節とその歌のリズムが、少し低いところから上を向いて、心に諦念は抱えていても自分に語り掛け意識的に口角を上げるような。そのワンフレーズがすべてだなって思う。感情は内から発露する波に振り回されるものではなく、自分で向きたい方を意識して向くことでそういう感情になる、と説く話があるけれど、まさに自分に言の葉の呪文のように繰り返し説いてあげる、つよくてやさしい歌だなって思う。

なんだかMind light blues/shamanippon -ラカチノトヒ-を彷彿とした。腐っても腐りきらずに顔上げてまた歩みを進めるんだよ、なんて言いたげな。少しだけ語感を投げ捨てた、絞った語尾に決意とは逆のものも時折匂わせながら、それでも力強く。そんな歌声に。それに41歳になった堂本剛に「歳をとろう それなりに行こう」って自分を認めながら背中を押されると脚が前に出るよね。世は混乱と彷徨いの渦中だけれど、自分は一歩一歩、夢も魅て運命も愛してやって今日を生きるんだもの。辛いこといっぱいあるけど、どう生きるかを決めるのは自分なんだなって。いま、去年のライブで、ジャニーさんが現世から肉体を離してから最初の公演で、剛さんのショックを心配するファンに対して剛さんが自分ももうこんな歳で、色々経験してきているから(過剰に心配しないで)、という趣旨の発言を、視線を落として、そんなことを思い言った自分に対して寂しげに僅かに口角を上げながら言葉を零した、その背中を思い返しました。アルバムを通して聴くと、この曲辺りから涙腺にきます。

ここでは人は心の乗り物と歌います。そう思うと自分の在るべき生き方、在りたい生き方を、心がありたい生き方を人という身体が叶えてあげなきゃね、という気持ちになります。I'm just me、翻訳すると私は私だけ、と美しいロングトーンを響かせて歌う剛さんの声を、音楽をこれからも感じながら生きられたらこんなに幸せなことはありません。欲張りに未来を祈ります。

 

*Super miracle journey !!!

2019年、ジャニーさんが倒れて、現世に肉体を留めていた間に、ジャニーさんを鼓舞せんとライブでみんなで歌った楽曲。「ジャーニー、wooだよ」と言いながら見本を見せる時に「ジャニー!あっちがった!笑」みたいなことする剛さんに笑顔のおすそ分けを頂いたやり取り。鼓動はいつまでも続いて欲しかったけれど、ひとは肉体を離れる生き物なのだもんな、ああ…。病室で息子たちと過ごしたかけがえのない時間は、剛さんの心にも確かに残って、例えばあたたかな陽だまりのような優しさを湛えていてくれたりするかなあ。歌詩には剛さんがジャニーさんから言われたと思われる言葉たちが確りと並んでいて、これからも在り続ける。喜怒哀楽が音楽に溶け込んでいくことが、剛さんにとって救いや安らぎに繋がっていたらいいな…。

 

*Wedding Funk

こちらもFMBでのリスナーからのメッセージきっかけで生まれた曲。前作の方がそういう経緯の楽曲が多くてさ、今回それが少ないのは剛さんの中に表現の水が溜まってきたからなのかなあと空想する。日々の出来事やファンからの声といった外からでなく、剛さん自身の内から湧き出る音楽。(どちらかを否定するものではないです、どちらもどちらで素敵で無敵なので!)

歌詩の語感や意味は式場で背中を押してくれるもので、なんかこーうまいことこのリズムがビートが収まる場面をつくれないかな…お洒落な演出できないかあな…て妄想する次第です。「Happy me for meeting you」の緩い歌い方めちゃんこ好き。

 

*Oh…

4~5年前にできていた曲で、でも詩がバラードになる曲で、なかなか筆が進んでいなかったけれど、やっぱりメロディが好きで、筆を取ったら綴ることができた、と剛さんが仰っていた曲だと思います。歌ものを生み出していた時期の剛さんを思い起こさせる楽曲。雨恋とか。この曲がいちばんすき!という方も多い気がします。剛さんの表現で好きと大好きと愛してるのカテゴリがあると思っていて、愛してるがこういうタイプのカテゴリだっていう方。だって麗しくて美しいもん。粒立って煌めくその刹那を甘美に切り取って、歌詩として表現することが剛さんは本当にお上手です。そして愛の深さに果てがないことを示す3行の秀逸さ。きっと剛さんの愛自体そのものが広く深く遠く果てがない愛なのだと思います。どこまでも続いていくような、あたたかな愛情が、相手への想いが込められたOh…のリフレインを聴いていても。そう強く思います。

またLyric Movieが製作された一曲です。水の波紋。零れる雫。縁を結いてとか、Nijiの詩とかを、彷彿としますね。とても美しくて。

この曲と、次の曲はアレンジが十川さんです。ほかの曲はほぼGakushiくんで、FUNK 一途 BEASTSは竹内先生。剛さんが綴るバラードは、心に寄り添う音楽は、ずっとずっと昔から十川さんが寄り添って表してくださっています。素敵なことだなあと思います。(※ほかの方のアレンジを否定する意はミクロもありません。みんな最高で最強で最上なのです。なんて素敵な堂本剛と音楽を鳴らす皆々様。)

 

*あなたへ生まれ変われる今日を

私はこの曲のイントロを聴くだけで本気で涙が流れてしまうので、実はこの曲だけは、この新譜の中で圧倒的に聴いた回数が少ないのです。なんというか、大切過ぎて白い手袋が、清らかな心がある時にしか手を伸ばしたくないというか。別に剛さんもそんなことは望んでいないと思うのですが。大切過ぎて。

音楽と人で、剛さんへのインタビューが叶わない表紙巻頭で、ライターさんが「これだけの日を跨いで来たのだから」へのアンサーソングと綴っているのを読んで、もうその一文だけで私は身震いがして、心がぶるぶると震えて。剛さんの艱難辛苦へ、時折の叶ったその日に、寄り添い続けた大切なあの曲へ贈り返す音楽がいまの剛さんから生まれて、私たちが耳にする日がくる。そのことに心臓が喉から飛び出そうな思いがして。これからもENDRECHERIの音楽が続く未来だってあるのに、それでも3部作の集大成と言わしめたこのLOVE FADERSを締め括る最後の楽曲がこの「あなたへ生まれ変われる今日を」という本当に「これだけの日を跨いで来たのだから」を彷彿とさせる音楽で、私はもうそれだけでさめざめと泣くことしかできなかったのです。悲惨な出来事を跨いだ剛さんが、自分自身を信じて、あなたへ生まれ変われる今日を、離さないで抱き寄せて、自由へ明日へ繋げて、愛へ発つの、と。歌うこの音楽へ。ああこうして文字を打って心を綴っているそばからはらはら涙が零れて止まらない。今回のアルバムは様々な色を携えていて、ライブで、生で歌う剛さんの歌声を聴いたら痺れちゃうなとか撃ち抜かれちゃうなとか震えちゃうなとかどの曲も心から思うけれど、この曲はもうイントロが流れた時点で泣いて泣いて仕方がなくなってしまうと思う。ライブ中はいくら涙腺が緩んでも、視界が霞むので基本的には堪える(結果楽曲の最中に一筋二筋、幾筋か頬を流れることはままあります、ThanKs 2 YOUのYOU…とか、Partyで2人が笑ったり歌ったりするたびにとか)のですが、この曲はたぶん無理です。下手したら号泣です。もしかしたらね、スティーヴさんがご自身のブログで、剛さんのお誕生日の頃からその後は怒涛のライブですよ、なんてことを書かれていて、当時はああ去年もっとライブがしたかった、と話していた剛さんの想いが叶うのかな、2020年は剛さんが歌うステージがたくさん叶うのかなって想いを馳せていて。もしかしたら、こうして円盤で手にするまえにライブで、目の前で剛さんがこの歌を歌う瞬間に立ち会って、心の準備もないまま打ち震える未来があったのかもしれないのだよなって。思ったりもします。もっと書けば、KinKi Kidsの新譜、年末のコンサートで剛さんがジャニーさんを想って、そしてジャニーさんを想う光一さんを想って生まれたKANZAI BOYAというFUNKミュージックが、ごきげんなMVとともに、5月5日という光一さんと剛さんが出会った記念日に発売されていたはずで。けれどそれも叶わなくて、けれど叶わなかった結果、6月17日という去年のこの日まで、ジャニーさんがいつも通り元気だった最後の日(これに気が付いて文章を記したのが光一さんだっていうのも震える話で)に、堂本剛が作詩作曲したKinKi KidsのfunkミュージックであるKANZAI BOYAと、いまを生きる堂本剛の結実である、Super miracle journey !!!という楽曲を含んだ、堂本剛作詩作曲のENDRECHERIのfunkミュージック達であるLOVE FADERSが、同日にリリースされて、そしてオリコンBillboardで週間ランキング1位をシングル/アルバム共に獲得するという未来も生まれ得なかった訳で。わけで…私達は決して遡ることのできない時間の中を生きてきて、その中で逸したり失ったりしながら、けれどそれでも確かに今日を生きて、未来を希って、過去を抱えて、今を刻んでいくんだなぁって。そんな限られた旅の中で、こんなにも愛する堂本剛という命と同じ時間に肉体を得ることができたこと。ただただそれは奇跡で、けれど事実で、現実で。だからこそ、今も今日も明日も昨日も、みんな大切にして、この音楽を聴いて、生きていくんだなって。心の底から感じて、思って、震えたのです。

 

 

 

この世界全体が置かれた未曾有の渦の中で、私は私にできることを精一杯努めて。

日々努めて重ねて歩み続けた先に、堂本剛さんと、この音楽たちと、震える空気を同じ場所で感じて、揺れて笑って泣いて、心を愛でひたひたにするその日まで。一所懸命に生きたいな、生きなきゃなって。そう思う、今です。

いまをいきて、すべてが叶って、はやくあなたにあえますように。