The love that breathes

例えば空を見上げるような.

魂の理/感情の表出とその在り処


2019.9.15 堂本剛 平安神宮 2019

平安神宮さん伺って参りました。3日間公演の最終日でした。
月の光る夜で、満月から上部が少し掛けて楕円を描く月でした。とてもうつくしい夜でした。このひとときを頂いたこと、本当にありがとうございました。


剛さんは剛さんの命で見え得るうつくしい世界とみにくい世界、その端から端まで、40年をかけて見渡してきたのかなぁと思った。あんなにピュアにシンプルに想う相手の明日が明るくあることを祈った直後に、あんなに歪んだ音色で赤色の照明の中で眉間に皺を寄せギターを唸らせる様。
局面は変われどその音楽には連続性があって、それは例えば美しさも醜さもひとの心掛け、心ひとつで容易に移り変わると案じて、暗示するような。

 

ステージと客席、光で囲われた空間が塊で揺蕩って、なんだかまるで剛さんが導く宇宙船で次元も衛星も超えた、理の先に誘われたような時間だった。有り体に言えば自分が普段どこでどう生きているかを無にして、ただ宵闇に心地良い音楽と光が満ちた、ここにない世界にいるような気分だった。
剛さんはそんなここでないどこか、けれど確かにある世界で、私達のメンバーのスタッフの視線を一身に集めて。それでいてただ無、欲や見栄とはとうの昔に切り離れた、ただ堂本剛という生命体としてそこにあったような感覚を抱いた。
揺るがなくて優しくてけれど甘い訳ではなくて、驕り高ぶることもなくただ清廉に実直に、時にやわからいその心を剥き出しに。歌ったり鳴らしたり話したりする剛さんがそこにあられたなぁと思い返しています。


開場後流れ続けたインストが宵闇の空間を包み込む中、一閃紫色の光が走る。光に足元を輪郭を照らされながら、バンドメンバー、そして剛さんが登場。剛さんは幾何学模様のセットアップ、黒地に白の直線と折れ線。右前一部紫地に白の直線が2本あったようにみえた。両手首ともに腕まくりしていて可愛い。
トップスが膝くらい?まで長くて楕円形のシルエットに見える。多分オーバーサイズな気がする、剛さんのいつものお似合いの着こなし。生地自体は縦線で波打って柄とは別に心持ちでこぼこしていた気がするけれど気のせいかもしれない。長袖長ズボン、剛さん暑くはないかなあ。相棒の赤紫ヘッドホン。
左手首には紫と赤紫の布が長く垂らされ結ばれていて、ギターやベースを爪弾く度柔らかく揺れて目を引いた。髪色はまたくすんだカラーに寄っていたような気がする。ライオンゴールドから離れて。分け目がいつもよりもう少し右寄りにみえた。時折手の平で撫ぜるように前髪を掻く仕草に心奪われる。
脱線しますがこういう開演前のインストとか、折々流れる生演奏でなくてもすこぶる魅力的なメロディラインをした音楽たちどうにかして形にならないかなあー。平安神宮毎年円盤化されていったら例えばメニュー画面でのBGMにするとか。ほんとは円盤で音源で欲しいけれど。不安に苛まれた夜聴いて眠りたい。

 

剛さんギター、インストが暫く鳴り響いてNARALIEN。アルバムで綴られた詩を目にしてからライブで聴く。サマソニ大阪以上に言葉ひとつひとつが耳から全身に行き渡った感覚。
サマソニでは現代、煩雑さに塗れたリアルの中に歪まず横たわる諸行無常を感じて、今日平安神宮という場では時空を時代を超えても、誰もが死ぬこの命、と連綿と続いてきた人類や生命の結末を思わせる。
ツアーでは言葉がわからない分読経を耳にしていた感覚が近くて、今は言葉ひとつひとつの意味意図重みがずしりと身体にのしかかる。無畏とはおそれるところのないこと、いま剛さんはその次元で歌を歌う。その次元で法を説く。
舞台装置としては、ここでは照明の光のみ。正直もうこれでも十二分に美しい。この3日間のためだけに毎年練られる演出の贅沢さ。歴史的建造物であることを最大限に活かした光と影のコントラスト。

 

NARALIENからのHYBRID FUNK。最新作と前作の歌唱あり1曲目を重ねてくる堂本剛。続けて死を、殺すという言葉を用いた歌によって逆説的に生きていることの重みをありありと示す。「風」という詩で剛さん、淀みなく前方を指差したけれどその運指は何を指していたのだろう。
(ここ音楽と人で扉の写真になっていたカットかなあと思う。どうしたらあんな風に、深淵を覗いたような表情ができるのだろう…。)
演出に水柱が加わる。ステージ後方は相当な高さ。高さや順序を自在に塗り替えながら照明に照らされ、当たった箇所はウォータースクリーンを連想した。

 

HYBRID ALIEN。サビのリズムの取り方も異なるアレンジ。滑らかな歌い回しから、拍の頭を強調した前のめりなリズム。音源は軽快でこぎみよく、スペイシーでポップな印象からポップさが抜けてより宇宙感が鮮明化する。死と生を歌う2曲のあとにおセンチとかいわれると緩急でギャップに耳がときめく。
平安神宮の屋根に渦巻く宇宙が投影される。星粒とひとつ目立って輝く恒星と、黒い闇の中に赤やら緑やら青やら、宇宙そのものの彩りと。映像の星空はひとところに留まることはなくて、同じカットがあったか否かそれもわからない。

HYBRID ALIEN(1番)~Love is the key~4 10 cake(歌詩変!)~super miracle journey~inst…ええとどこまでだっただろう、中盤はほんと曲達をかいつまんでいいとこどりで滑らかな一続きだった。
NARALIENもアルバム全体で一続きだなぁと体感するけれど、今年の平安神宮でも堂本剛の再編力を目の当たりにした。伝えたい想いを伝うためにどんなメロディでどの歌のどこを紡いで結い上げていくか。更にただぶつ切りに繋げるのではなく、メロディや歌詩を大胆にリアレンジし色彩を塗り直す。いまの剛さんが伝えたいことのために蘇る剛さんから産まれた表現。
輝くための鍵は愛だと宣うその曲は、彼を思い返す音楽への伏線にも思い返されて。4 10 cakeに関しては流暢なEnglishを解読できなかったのだよ~~しかしてhot×4 cakeのとこの左手の癖(意図ある振りでなくリズムを取るための手段に自分には見える…肘曲げて幅小さくリズミカルに掌を前後させる)は言葉が変わってもご健在。
Oの発音する口元と相まってなんかかわいいのだな…。super miracle journeyは短め。数回フレーズ繰り返し。この日この場所でジャニーさんを想う歌を歌う剛さん。
instはコーラスお姉さま方の美しさ天元突破でしたよ(急に激しい←)…3声が重なる麗しさ、insta拝読したらお初の3人組み合わせであられるとのこと…!みなさま一方通行でよくよく拝見しているけれどそうだったのだな…全くそうとは思えない声の重なり。
剛さんの音楽に彩りと奥行きと荘厳さと…数えたらきりがないけれど、言葉を紡げるパートとしていつも輝いていらっしゃる。今回はお衣装黒基調でシックにタイトに纏められていてお姉さま感増し増しでお美しい。
繰り返しだけどほんとうにinstはきらめきだった。ぎらぎらと彩度の強い目に刺さるようなものではなく、まさに星の瞬きのような。激しく主張せずともひとつひとつの音が声が粒立って、ここにいること、私たちが音を鳴らしていること。それらを確かに表して、煌めきが重なり合って、月の光が届く今年の平安神宮のために誂えたとあり得ない文節で話したくなるような、今宵にぴったりのとっておきの音楽だった。
剛さんの声はないけれど、女性だけだからこその音の高さと彼方へ透き通るような色が夜空を助長してひとつの世界を成していた。印象だけが膨らんで音楽が記憶から遠ざかることが心底口惜しい。
ほんとね、この夜がこの空間がこの時間が永遠になればいいのにってとても軽率に思い浮かべてしまった。未来にもきっとまた素晴らしい剛さんがいらっしゃるのにね。いつまでも虜だ。
ジャニーさんが剛さんの観念に今昔存在し続けるように、剛さんへの感情もきっと喪われることはないのだろうなぁと思う。

 

ちょっと脱線。この日夕方早めに会場入りしたら丁度音出しされていて、NARALIENとsessionの入り部分を聴けた。剛さん装いはTU FUNKロゴキャップの真っ白版、左腕袖にチャンピオンのロゴが入ったゆるいシルエットのビック半袖白T、膝丈の深緑色ハーフパンツ、benchのBENSAN、こちらも真っ白。
サンダル、奈良ブランドであられますが、剛さんこういう奈良のステキなこともの、どうやってアンテナ立ててキャッチされているのだろう。奈良つながりでお知り合いから紹介され合って…とかそういう感じだろうか?
キャップは目深に被って目元は基本見せない。鼻筋も時々見えるくらい。
後半確か多聞くんスタートで何かスタッフさんとお話が始まって、剛さんは横で序盤は発言されている雰囲気あまりなく離れすぎずつき過ぎずの距離感。次第に竹内くん十川さん、サスケさんがひょんと輪に入りスティーヴさんもそろそろっと寄ってきて最後にGakushiくんも手招きされて(順番&人物違うやも)。
結果男子メンバー+スタッフさんで集まってご相談(スタッフさん一回外れて戻って)。女性陣は中盤ちょっと様子を伺うも、恐らく関連されないご様子で輪には入らず。暫く身振りつきつつ話し合った後、とりまとまったご様子で解散。十川さんが剛さんにぐーって親指出してみせていてなんだか安心&ほっこり。

 

そして音楽を終わらせよう。あの日の剛さんはPINKを歌い、あの日の剛さんがこれだけの日を跨いで来たのだからを歌ったように、これからの剛さんは音楽を終わらせようを歌われていくのかもしれない。だって「悲惨な出来事なんて あるのが当たり前じゃない」なんて、それを″当たり前″と言うことはあまりに惨い。
患った年の冬、目の当たりにした、東京ドームでの壮絶な絶唱。最近そのことについて記された日経エンタの光一さん連載を読み返したけれど、開催されなかった去年を踏まえて読むと、はじめに剛さんの趣意と全体の動きに齟齬があったことが言及されていて。
齟齬が発覚した時点では既に、何らかの形で開催することが時間上ミニマムの状況だったようにも読める。開催されたあの公演、正直齟齬が無かったらあの年の時点で開催されていなかったのではないかと。戻ったら万全ではじめよう、そんな、ある意味何よりも現実から乖離した想像があったのではないかと。
ついなんの論拠もなく邪推してしまって。そしてそこで歌われた、その出来事ただその真中にあられる剛さんの歌唱は全身に刺さって、胸が握り潰れるような感覚だった。同時にそんな己のお姿を5.5万人の前で露わにする(歌というものを歌うことを心底渇望された結果のようにも感じましたが)剛さんに、ある種の畏敬の念を覚えた。
とてつもなく脱線してしまったが、要はいま剛さんがこれ跨を歌うには様々があまりにも辛辣で(昨年のツアーでPINKを歌われたことを同時に思い返す)。それよりも、今の心模様に添い遂げる歌は音楽を終わらせよう、なのかもしれない。そう思っている。
剛さんにとって音楽は最早自分自身と重なるほどに切り離すことのできないものだと思うけれど、それでも、音楽を続けることだけで正義や真実を成せる訳では決してない。それだけ大切で大事で必要な存在だけれど、もしそれが、それをすることが善にならない、そんな起こり得ない場面がもし起きたら。
きっと一息に、感情を持たずにざんと切り離してしまう程に想っているのだと思う。
このいまもいらない、と歌う箇所では見間違いかも気の所為かもしれないけれど剛さん、感情が高ぶっているような、目に水面が浮かんでいるような、そんな様子に見えて。またある箇所では両腕を伸ばして客席を包むような手振りをされたり。
この夜の中でいちばんエモーショナルな歌い方だったように思う。見入って、引き込まれた。

 

それから新譜(→Precious Lover)。なんというか、徹頭徹尾語弊ばかりだけれど、ありふれた歌詩で、奇を衒ったり、ああ堂本剛節だなあと思う言い回しは殆どなくて。メロディもある意味耳触りの良い、きっとそうではないけれど、どこかで聴いたことのあるような旋律で。
至極振れた表現をしたけれど、何を感覚的に模したかと言うと、剛さんが生んだとは思い浮かばないような音楽だった。勿論思い遣りや優しさや包み込むような温もりや機微神経の通った言葉も旋律も、それそのものはまごうことなく剛さんの音楽なのだけれど。
芯や根は剛さんでも、生まれて育った木があまり見たことのない色彩を帯びていた。なんとなくジャニーさんを感じながら生まれた曲なのかなあと思い浮かべて。大切なひとの明日の素晴らしさを素朴に願い祈る剛さんの様子に、幼少期の剛さんを想像したり、ジャニーさんとの時間がこれからもこれまでのように続くのだと感じたりした。
シンプルであたたかく童心で柔らかな曲だった。このところのENDRECHERIのfunk musicしか聴いたことのない方が目の当たりにされたら驚くだろうなあ。こんなに飾りのない剛さんのお姿が音楽という表現の中であられることに。ROSSO E AZZURROとかね、歩き出した夏とか、そういうあの頃の音楽を連想するような、純朴さ、ストレートさ。

 

平安神宮公演、とても印象的だったのがこの新譜とsessionの入りの音楽の差。落差と言っても過言でない(どちらが下という意味でなく)。あの希う様子から一転、底から湧いてくるような、地響きのような、多くの人間は四六時中誉れるべき人品を保つことなどできていないと宣うような深いメロディ。
水柱の上に炎が灯ったのはこの時で合っているだろうか。音出しで聴いた時の身震いが蘇って、衣装と照明と宵闇でその深度が増していた。剛さんは世界に何を見て、己に何を賭して生きてきて、生きていくのだろう。
sessionは多聞くんが冒頭拍を遠く置いて鳴らした後、ぐんと速弾きに切り替え白根さんとチャンバラされてたのが印象的で。
ラスト、リフターで宙へ上がる剛さんの神々しさに拝みたくなるような衝動を抑えて、この世にも別の世にも境目なく行き来するような剛さんの様をありありとただ見詰めていた。

 

合同参拝の様子は尊く仕草がどこか可愛らしい。説法は平安神宮でしか、古都の場でしかあまり聴くことのないフラットで感情の薄く入った声色で。自分の声に耳を傾けることで様々が成されること。さまざま道筋を変えながらそう宣う剛さん。
話が長くなってごめんなさいなのですが、なんて言葉を挟まれたくらい真摯に思いの丈を言の葉に乗せてくださいました。深く何度か方角を変えて頭を下げて去られる剛さんの様子に、何年も続くこの時間のかけがえのなさや尊さを強く心身に記した夜でした。

 

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2019.10.8 ENDRECHERI TSUYOSHI DOMOTO @Zepp Namba

 

ENDRECHERIツアーオーラス、2列目ほぼセンターで剛さんを拝見し続けました…照明が落ちていても剛さんの表情を伺えて、肌の質感や目元のクマの様子も凝視して…3時間後に思ったのは、ああ堂本剛というひとは人間で、構成物質は私達と同じで、生きてるんだなぁって。ある意味当たり前だけれど、反面いつも念頭にはなかったなあと。
男性という性別においては小柄でも特に上半身、肩や二の腕のライン、骨格や筋肉に男を感じたし、あの腕で胸筋で誰かを抱きしめるんだなって。ステージの前も後も一続きで、特別な時間は剛さんの普段の時間の中にあるんだなって。40歳男性の堂本剛さんが生きているんだなって
あんまり耳を遣う余裕がなくて目ばっか遣ってらんらんと凝視していたけど、基本的に剛さんは意識を感じる、様々に目配りされている表情をしていて。ああ演奏に没頭しているな、とか意識がこの場から離れているな(例えばジャニーさんか、どなたかを想って意識の中だけにいるな)と思う瞬間はかなり限られていた。
きっとお耳のことがある前はもっと頻度も深度も離れても戻ってこれていただろうなあと思うし、翻っていまは今に意識を留めないと公演が成立しない、流れの手綱を握り続けられない、と思われているような気がする。ファンクサインで演奏を仕切る剛さん。剛さんが一曲とばしてしまっても即座に対応するバンドメンバー。頭を遣う剛さん。
いろんなことが感情に過ぎった。去年のライブ映像をみても、意識を巡らせて公演を成立させようと努めていらっしゃると、今年の振る舞いと比較するとはたと感じる。剛さんが積み重ねてきた時間の果てにこのステージが、音楽が成立していると痛感する。

 

ああENDRECHERIの2019年が終わったんだなあ…。今日すごい距離で拝見して頭いつも以上にぱーんなっているのだけど、ひしひしとああ堂本剛という人間は生きているんだなあ、あの身体から口からあの声が出て言の葉とメロディになるんだなあ、とある意味当たり前である意味特別なことをまざまざと感じた。

 


髪の毛かなり刈り込んでた。センターから右側に向けて、もしかしたらもっとぐるっと中は刈り込まれてるのかもしれない。見る角度によってはスキンヘッドの、頭のラインを空想できるくらい。短髪だってばちくそイケメンはばちくそイケメンで淀みないのだな…左に流した髪も後頭部も全体的にショート。
右側ちょろんとヘッドホンから逃げた前髪にときめいた
なんとなくくーまーさんと目頭から八の字のやつれ?が見えたような。おつかれなのかみえたからみえたのか。肌の質感が40歳の雄だった。軽率にときめいた

 

渉くんの服装。ボトムス、ハーフパンツは竹内くんのピンクのそれ、タイツはサイケなカラーの猫の顔たくさん。MC始まるや否や渉くんヂットミツメル、で触れてくれ的に剛さんを見てるけどちょっと寝かせる剛さん(笑)。楽屋裏でもそれなりにいじられていたらしい(笑)
脱線するけど渉くん、剛さんばりに下手したら以上に、めろい声出すお兄さんこの世に存在すると思わなかったよ…焦点が通常ほんわかしてて相まって可愛い。それでいてベースプレイ中はえーろーな嘆かわしい表情浮かべるからさ、音楽する方っておモテになるはずだよねえ…ギャップの権現だもんねえ
あと渉くんベースのストラップにパンケーキついてた。ちょっとだけ厚みもあってふかふか感のある。アリアちゃんがつけてくれたそう。アリアちゃんはホットケーキが前後ろ何枚も何枚も重なったデザインのレギンスだった。ボブさんはいつものCharaさんクレイジー(笑)、りんちゃんも柄タイツ、恵子さんは蛍光桃タイツ。十川さん変わらずメッシュ(左側頭からどこかの神社で手に入るらしい和同開珎みたいな円盤ぶら下げてた。お医者さんが昔頭につけてたやつ位サイズ)。

 

はじめのMCは7割方鈴木雅之選手権。前日に皆さんで話題になっただか剛さんが思いついただか(忘れた…)で開催決定です笑。みんなやるからね?と各々披露しながら複数回念押しする剛さん。歌真似する方声真似する方言われた一言(十川さん「十川くんキューちょうだい」)等々。剛さんもだんだんなにしよ…て(ネタ被らないように)悩みつつ進行。ほんとにみんなやったよ、優勝はルイスさん!トップバッター!(真似というか〇〇のていおうー!みたいな一言だった)
剛さんはなぜか歌詞が出なかった鈴木雅之さん(とは?笑)を真似て、下唇を特にだけど口元突き出して、肩すぼめて右腕前に出して右手人差し指立てて左右に振って「すのものののの…」とゆるいトーンで連投笑。これ剛さんだいぶお気に入ったみたいでこのMC中複数回こする笑。すのものて聴こえるよ!てDuttchさん優しいツッコミ。

さんざ鈴木雅之選手権した直後の曲、イントロでも懲りずに渉くんの方をみて下唇尖らせて指立てて手を左右に振る剛さん…嵌ると抜けないもんね、渉くん笑ってるなぁってその向かい合わせににまにまする。
カメラさんスイッチャーさん抜くのぎりぎり間に合ってなくて事後だった…のだけど、スクリーンに抜かれた表情にちょっと笑いが残る剛さんの可愛さ、一連の遣り取り込みで天元突破。そしてすうっと緩やかに切り替えてかっこよさかますこととてつもない。

 

4 10 cake、your butter!!!のとき剛さんの黒目は特に左右によく動く。公演が終わってから会場を振り向いて、その視線は1階席最後方の壁のラインと2階席の最前方の壁を沿っていたのかなと想像した。左右中上、と4拍踊るのは運指だけでなく視線もだった。

 

この日曲飛ばしちゃったりもして(確かMusiClimber)。剛さんが段取りとちるの珍しいイメージ。もしそれがとちっちゃうくらい高まってたのか(ならそれはそれでうれしい)、勿論単純におつかれの結果か、たまたまか、理由なんて絶対分からないけれど。

 

I'm gonna show U how 2 funk、剛さんは後半ベースプレイに没頭されていた。内にベースのボディを抱え込むように抱いて、はじめはネックに指スライドさせて。畳み掛けるところは暫し音に演奏に没入されていた。終わる頃にはするりと戻ってきて、この人が本当の意味でナカに這入るのをみたくなった。
隙間なく色を変え光を変える照明の中、背を照らされながら影をつくりながらベースに音楽を表現を託す剛さんはどあしようもなく格好いい。
この曲の時の剛さんの表情を見れたこと、個人的に今ツアーで相当に嬉しいことです…好きすぎてとめどない。眼球凝らして堂本剛をみてみてみた。

 

黒目が動くの、higherのときもおんなじ位よく動く。右の腕、掲げたり持ち上げたりせず、腰か腹あたりの低い位置で掌を上向きに人差し指をくいくいと引いて持ち上げオーディエンスを煽る堂本剛。もっともっととかそんな言葉もなく、ただその手指の動きだけで興奮するしまんまと煽られる。そうして最高潮のステージを残して堂本剛は去っていく。

 

Precious lover、途中間奏で宙を見る剛さんがいて、ああそうだこの方、お耳を患う前はよく天井を空を宇宙を見上げてここではないどこかに離れて戻って…ってしていたと思い返す。曲頭は左上、曲終は右上に流れる星(逆かもしれない)。流れ星は地上に堕ちるけれど、剛さんが思うその方は天に昇られた方。

 

セッション、渉くんがひとしきり演ってブレイクして、けど他の音が続かなくてもうワンプレイする一部始終。剛さんはステージ少し上手の座面高めの椅子に座って両脚投げ出して少し背中丸めて、渉くんをためすすがめつしてるみたいだった。
さあ君はここでどんなプレイを見せるの?みたいな。目の窪みが際立つようなそんな視線。スティーヴさんのマイクパフォーマンスでは破顔して(はちゃめちゃにカワイイ…)、コーラスお姉さまが客席をキー3声に分けて(コーラスパートの前、りんちゃん中心に3人打ち合わせされてるなとチラ見したけどこれのことだったのかな!素敵すぎる)ENDRECHERIと歌わせるその幸福の合間はセンターで。集まった観客の声が空間が、剛さんにとって心地好い瞬間であったらいいなあ。

 

Duttchさんアリアちゃんお誕生日近くということで、最後のご挨拶で剛さん音頭でハピパソングみんなで歌唱。Duttchさんこの時(誕生日を紹介されてから)まあなんと愉快なステップを踏まれていて、happy birthday to “you”のyouの時おれやで!的に両腕親指で自分を指して脚なんかクロスさせちゃったりしてま~~愉快。軽快。楽しすぎる。笑
いいもん持ってるなあ、使い所多くて便利だなあ、的な発言が剛さんからあったくらい。Duttchさんはバンドの陽のエネルギー源みたいな方だ。ルイスさんは音色が太陽みたい。コーラスのお姉さま方は3姉妹息の合ったパフォーマンスと少しマイウェイで剛さんを甘やかし過ぎない絶妙な塩梅。Gakushiくんは閃光、アリアちゃんは彩色、十川さんは良心と根幹。竹内くんは槍と軸。まだまだ皆様、表すと尽きないけどもうなんか皆様お一方お一方人徳が素晴らし過ぎて…違った個性違った色彩でみなみな好きになる。

 

スクリーンには表情に現れ切らない感情が映り込むのかもしれないと思った。或いは顔がアップになるから結果情報量が増えて想像されるものが増えるのかもしれない。シンプルに双眸を見ていると、ステージ中8割は冷静な頭をしているんだろうなあという眼球を、ただただみせていると思った。
翻って入り込んでいる剛さんはそれはそれで計り知れない魅力に溢れている。演奏中が多くて、音に変化が引っ張られる。一瞬一瞬がかけがえなのない時間。

 

剛さん、ジャニーさんのこと「こんな人でも死んでしまうんやなあ(大意)」って、ああ、と少しの虚無や脱力感のようなものを感じさせながら仰っていて、その心の中でPrecious Loverを産み出されて、今歌われていると思うと、なんというかもう心臓が持っていかれたような心地がした。
あれから涙を流されたかわからないけれど、剛さんが目の当たりにした言い表せない悲しみを身体の外に出す(抱えても溢れ出て抱えきれないと思うし抱え過ぎても剛さん自身がこぼれてしまう)方法が音楽だったのだと思う。いつもでなくてもできる時に思い出す強さを、と故人に沿う剛さんの想い方に震えた。
この方grooveやリズムの才に溢れていらっしゃるけれど、元来優れたボーカリストであった、と目の当たりに感じた曲だった。1番ほぼkeyだけで歌うのだけれど、バラードは今の身体には難しいと仰るけれど、身体が引き寄せられる心地がして、人身掌握というか、言葉にならない想いで、吸い込まれる気がした。

 

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このオーラスの後、ABC-Zのジャニーズ伝説で、剛さんが提供した曲「You…」が披露されました(ジャニーさんの関係で、河合くんタッキー剛さんが同じところに揃った際にお願いされて、剛さん一つ返事で了承したそう。作成にあたりキーワードをもらって作られたそうです。Love Fighterでも恐らくこの曲作ってる?ときの言葉の選び方に悩まれているような投稿がありました)。
ここに綴られたメロディも言の葉も、Precious Loverと近しいベクトルの、平易な言葉でけれど堂本剛節な、うつくしいメロディにひとを想う心が綴られていた。
仮歌剛さんが入れられていたそうで(歌唱指導もされたそうです)、できあがってるじゃんて囲み会見で話していたけれど。サビのコーラスに剛さんの声が入っていて、確かにWSですこしだけ聴いた限りでも、堂本剛の表現力をまざまざと感じるような歌唱だった。
声質も歌いまわしも唯一無二。音楽自体も聴いているとシンプルに涙が零れそうになる。Johnny's islandでも歌われるそうで、なんか違うけど、社歌みたいだよねと思った。事務所の魂の在り処を灯すような楽曲。

 

それと楽曲提供に関連して、河合くんがラジオで仰っていた「“堂本剛”っていう生き物(*)」という表現。ツアーで相当に近くで剛さんを拝見する機会があった結果、すとんと腑に落ちて、合点が行った。中心にありながらある意味誰より淡々としていて、自分の振る舞いがどう映りどんな効果を齎すか、基本的によく把握して掌握している。
かつそれを多分に意識することなく、できるから100%やるでなく、適当に行き届ける範囲で意識を行動に反映している。力むことはなくて、始まる前と終わった後が一続きで。堂本剛という人間がただそこにあって、ただそこにある堂本剛という人間が途方もなく魅力的な生物であると。originalな生き物であると、素朴に純粋に目の当たりにすることが、私達にできることなのだと。その心のさざめきを、うつくしい水面をただ見詰めることが私達にできることなのだと。ひたすらにそう思った。
勿論これはみんな主観で憶測で、真実でも正解でもなんでもないけれど。ああ、と、はたと、思ったのでした。

堂本剛くんは堂本剛くん。表でも裏でもずっと剛くん。あの世界観。“堂本剛”っていう生き物。誰も真似てない、憧れても真似できない。それが今回ハッキリわかった。

 

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いまの時間軸は2019/10/10に楽しい楽しいどんなもんヤ!25周年2時間生放送(この日が丁度丸25年)があって、そこで光一さんがラスト10秒、おれぶっこむで、と複数回前振りした後、

KinKi Kids ドームライブ やります」

と言い放ち(;;)エンディングを迎えて、日程が発表になったところです。

光一さんが10/13に更新されたSMGOで「今の2人にできる事を考え」と仰られたことを信じて、その日まで日々を頑張りたいと思います。「自分も楽しみにしております!!」って結びの言葉も嬉しいよ…!!
どうかお2人にとって、素敵で素敵で堪らない時間になりますように。