The love that breathes

例えば空を見上げるような.

ついーとくよう

Twitterさんの下書きに残しっぱなしだったやーつを供養(*´`)

 

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今回様々な雑誌媒体でENDRECHERI掲載頂いていて、そこで媒体其々に合った堂本剛ENDRECHERIを据えていること。ほんと剛さんの俯瞰力とかプロデュース力に唖然とする。どれも剛さん自身で、それでいて読者層に向いたビジュアル、映り方で。そういうのも良い意味で楽しみつつ撮られているのかなって鳥肌

 

SWITCH、自分の音楽表現への欲求を通すことに対してわがまま、傲慢さだけではなく躊躇という表現も使われたことに堂本剛の過去の優しさと今の優しい強さを感じる。誰かに優しくする事と自分に優しくする事が相反する時、自分への優しさを選べるのは優しい強さだと思う。逃げでなく正面から向き合うこと

 

 

自分の音楽を極力、聴かなくて大丈夫ですと言えるって凄いよね、表したものを誰かに好いて貰いたい、褒めそやしたり崇め奉ったりして欲しいという承認欲求を満たさなくても大丈夫なバックボーンを剛さんはもう手に入れたのだろう、浴びてきた好奇の目を咀嚼して嚥下して取り込んだ堂本剛の芸能人歴。

 

鳴らしたい音楽を鳴らそう、浮かべたい宇宙を浮かべよう、感じたい空気を感じよう。どこまでも冷静でフラットで柔らかく、纏う空気ひとつ、特別と純朴のハイブリッド。堂本剛はその歩みの果てもうそんな世界にいて、彼を囲む私達はもうそういう愛の中にいる。何人たりともその世界を濁らせる権利はない

 

 

 

いいでしょう、墨色もクリーンな白も極彩色も様々纏ってきたのだから。色という色、季節という季節を経てもう今は纏いたい色を纏って立ちたい空の下に立ったって。どこまでも色めくその魅力の中で、堂本剛という生命体を希う事に何も理由は要らない。堂本剛がその魅力を発する事に何も理由は要らない

 

堂本剛の季節は2015年のTuで一巡り、あんなにもハッピーな空間を実現させて、2016はシンプルな自分に還り、2017に咲かせる予定の花が患いにより2018に咲いて。季節はふた巡り目に突入していて、そこには素の自分、自分に優しくする環境、したいものを形にする意志がある。次に向かうのは夏、解放の夏

 

 

無骨で素朴で時にソリッドで、それでいてありのままで優しくで暖かい。堂本剛と集う仲間達のグルーヴ。こんな風に笑えるから、こんな風に音楽ができるのだから。降る雨はまた止まずとも雨を厭う堂本剛はもういない。四季も日々の空模様も少し笑んだり睨んだり受け入れたり。もう剛さんを阻めない

 

 

堂本剛の向上心というか、現状を打破したいというエネルギーはどこから湧くのだろう。ステージで暖かな表情を浮かべることができるようになっても、貴方はいつも前を、先を求めて腕を伸ばしている。そこに安住したり胡座をかいて座り込んだりしない。

 

剛さんと芸人さんとの絡み、テレビ界隈では割と剛さんのゆるボケにつっこんで画ができる場合と崇め奉り方が笑いになる場合があったかなぁと思いつつ、お互いボケ合ってぐしゅぐしゅする感じ、なんも否定されず仲間内の楽しみ感(実際仲間内)でお送りするシーンを拝見した〜ゆる面白い(*´`*) #堂本剛の素

 

漂うアンニュイさは堂本剛の本質の一つで、身体をうねらせ泳ぐエンドリケリーの様に焦りや衝動は脇に置き今を揺蕩っていた。時折溢れる吐息に赤と青を歌う、歩みだしたまさにその時の剛さんが惹起されて。時を経て超えて辿り着いた今、メロウさは大人の余裕、それでいて核心に迫る、そんな音楽だった。

 

 

個人的なイメージで。2015年TUとツアーで季節の一巡りを終えた剛さん、2016年GRで飾らない己を表した後、次の螺旋階段をどう登り出すのかなと思っていた。2017年アクシデントがあって、それを経て2018年。昇るのかと思っていたら剛さんは手にした仲間と己を愛する力でまた深海に潜って傷ついた誰かとあの日の自分を救いに行った。それは先週ラジオを聴いてどちらかというと強くなった心臓で潜る深く暗い海のイメージだったけれど、今日の言葉を反芻したら怒りだけではなくもっと自然な、柔らかい羽根が翼に生えてフラットに舞うような、そんな姿もイメージした。

 

 

剛さんは自らの手で今傷ついた誰かと、そして他でもないあの日の自分を。血塗れになっても胸が軋んでも、その痛みに耐えられる優しさとつよさを身につけた自分で救うのかもしれない。時間を超えて、他でもないその手で

 

 

剛さん幾つになっても何枚音源を重ねてもなにその声なにその発声聴いたことないんですけどどちゃくちゃエロいんですけどえっ今のなに…?みたいな動悸が絶えない

 

 

剛さんの優しさと強かさと。沸き起こる怒りをただ闇雲な怒りでなくきちんと制御して加工して、それでも刺さる牙をきちんと備えて形にできるところ。それが出来るようになった剛さんはまたひとつ別の世界へ到達されたのだと思う。HYBRID FUNKにはきっとそんな音楽が詰まっている。堂本剛の進化が。

 

 

傷ついてもがいてその中に射した一筋の光をきちんと自身の努力と行動で掴んで握って。己の身を手繰り上げながら、その渦中出会った登る仲間と共に。日の当たる淵に辿り着いた剛さんがされたことは気楽揚々と前進することでなく、敢えてまだ傷む深淵を振り返りそこに居る誰かに手を差し伸べることだった

 

 

あと人生何回このひとを好きだって思えるのだろう。桜に遠い視線を送った愛する人を見て、その瞬間に心を留め置かれた愛する人いちどきりと宣うならこの命うつくしいと髄から沁みて思うひとを感じて感じて全うしたい。救われたその瞬間に私も貴方様同様、望んで貴方様へ留め置かれている。堂本剛さん

 

 

こんな慈愛に満ちているからこその憤怒があって、諦めないことを選んだから諦めかけて淵に立つ誰か、顔や形の見えない誰かをも浮かべて語りかけるのだと。苦虫を潰す感情もそのまま喚く音楽でなくてソリッドとウイットを宿しながら確かにその感情を表す。堂本剛が重ねてきた時間と仲間が叶えた音楽。

 

 

剛さんはまたひとつ奥に、胸の奥底の奥、普通なら人の深部暗部光すら差し込みたくない己の深い傷に両手を突っ込んで、乾き始めたかまだ膿んでいるか分からないそこから腕を血塗れにして言葉や音楽を引き揚げてきたのだと思った。それは一重に昔その傷の中にいた自分、それと近しくある誰かを救うために

 

 

ダークでアッパー、ENDLICHERI☆ENDLICHERIからそう、ENDRECHERIは好戦的、闘う相手は不条理な世界。喜怒哀楽、怒りという感情を音楽に込めるのはケリーの世界。

 

 

どんな困難に遭っても。愛と誠実を携えて新しい世界を切り拓いていく。貴方の精神力と純潔にいつだって魅了されています。どうか暖かい春が、優しい春が、いつか貴方に訪れますように。

 

 

剛さんにとって「夢」という単語は現実の真逆、仕様のない空想や幻想を指すのかも知れない。桃色空でもI’ve found my voiceでも果てはSee you in my dreamでも。その単語に剛さんの生きる現実を透けて見る度、市井の人が淡い光を浮かべるような単語に仄暗さを連想させるようになった堂本剛の人生を思う

 

 

天命さん、16:34でされどかれど天命さんと歌う剛さん、ブレスの前一瞬口角がほんの僅か上がってけど上がり切らずに次のフレーズを歌い出す剛さん、そこに恍惚のような感情をつい見て取ってしまう。音に塗れ大好きなall starsとオーディエンスの中で、興奮と至高の坩堝の中で。舞い歌う剛さんは淫らで美しい

 

 

たぶん致す時きっと剛さんそういう表情するんじゃないかななんて思うカオが幾つも写っている。口の端で笑んだり、眼の奥の方に確かな熱を感じる視線で射抜かれたり。その刹那潤んだ瞳に写った己の姿を見たとき、もう飲み込まれずにはいられなくなると思う。堂本剛という男の、人間の魅力に。

 

 

すきなひとの悲しい涙、ほんとうに心を持っていかれる、過去の表情だってなんだって分かっていてもその一枚に胸が抉れて感情がその瞳に縫い止められて苦しくなる

 

 

僕天邪鬼やからかな、全てのことに意味があると思ってない。意味のないことやってあるはず、そこから何を学ぶかが重要。耳のことだって必要だったよ、てほんま?卑屈になってもしゃーない、この状況で何を学ぶか。そこから必要なものだった言えることが始まるのは。逃げの言葉な気がする。はぁて思う。

 

 

脳と魂サイダーって似てません??洒脱で、アルバム作品の中で少し肩の力を抜く

 

 

 

 

 

 

💙

 

剛さんのソロパートほんとに息を飲む気持ちだったなぁあの日音楽が流れ出して背骨を辿るように湧き上がるえもいわれぬ言語にならない感情

 

 

DESTINY感想。剛さんverは冒頭右耳からピアノ、左耳からエレキギターが際立つ。ストリングスとホーンセクションは等間隔の様な。サビから2番に入ると女性コーラスが存在感を増す。ボーカル自体のアタックは緩く、滑らかで少し艶のある声音。前に立つより、誰かの腰に手を添えて隣で一緒に歩む雰囲気。

 

 

 

 

 

❤

 

こーいちさんがモノを凝視する時の可愛さと、スタッフ目線カメラを用意することでまぁ画面の向こうと目が合わない光一さんがこっち向いた〜とテンション上げれるあたりが素敵でした

 

 

分からないけど、光一さんの筋トレが完全アウェーの初舞台に向けての自衛だったり自分を鼓舞するための手段だったら…と思ったりした。ひとつひとつを積み重ね続けられることは光一さんの強さだなぁと感服する。

 

 

たぶん光一さんは基盤の上に+αを積み上げる、基盤があることに安定した精神があって表現が成り立つ、けれど剛さんの耳の不調はその基盤が崩れることで。だからつまづいたという通常から離れた今を示す表現になる。剛さんは真逆で今は今だから、今できる形で活動しようとしていく。万が一光一さんに不調があったら光一さんは無理をしていつもができないならその期間ゼロにするのかなと思う。50はないから。

 

 

この手の話は光一さんしかいないラジオで話してもどつぼに入るだけだからせめて剛さんや第三者が隣に居る回にした方がいろいろよい話になるんじゃないかと思ってみたりして!ケンティーのコメントがいろんなものをまるっと飲み込んだらしさ満載のパワープレイ回答だったので今回の箸収まった感じで💨💨

 

 

💕

 

事実を過去に背負って歩む剛さんも、事実に意味を持たせるべく未来へ歩む光一さんもほんとうに優しくて強くて素晴らしいひとなのだと思う。比較することではなくて、歩き方の違いで、けれど向かいたい、辿り着きたい世界はどこか似ている。

 

 

光一さんはSMGO然り、誓いのような言葉を墓標にして、それを成すことを未来の自分に課して歩んでいく。剛さんは事象は事象として過去に据え、そこから何を成せるか今を積み重ね歩んでいく。

 

 

どんな言葉が適切かもう分からないけれどやっぱり私は堂本剛というひとと堂本光一というひとがとてもとても好きなんだな。出会ってからの物語、今現実に起こっていることなのにこんなにもこんなにも紡がれた命の輝き。輝き合って、まばゆくて、きっと時々2人同士まぶしく思うような。替え難い絆。

 

 

剛さんの躊躇いは光一さんが言葉がなくても分かっていて、光一さんは繊細な剛さんが今の状況で産み出す切ない輝きをきっと信じている。これまでもこれからも、KinKi Kidsに罹る困難は一人しかいない隣の存在を感じて、信じて、乗り越えて羽撃いていく。それが2人の強さと優しさなのかなと思う

 

 

未来がどうなるのか分からない、それを身に染みて体感しているお2人が、敢えて将来を誓うことが本当に幸せなんだ。2人自身が発言したものでなくても、周囲がそれを選び取ったのかも知れないけれど。不確定な物事は沢山あっても、2人はKinKi Kidsであることを選び取るよ、と言ってくれているような。

 

 

The Best通常盤冊子然り、グッズの5年日記然り、このところKinKi Kidsが未来を約束する言葉を発している。今を全身全霊で努めること信条とされて、浮き沈み激しい芸事の世界で将来を語ることをしてこなかった2人が。確証はなくても、それでも、5年後もこれからも、KinKi Kidsで居るよと唱えるように。

 

 

とても私感ですが、光一さんが剛さん不在のKinKi Kidsを務めていた時の音楽のひとつにAnniversaryがあって、この曲を2人で歌う音楽として歩み出した今聴きたいな…と心底思っていたのです。それがSONGSで叶うことになり、改めてKinKi KidsKinKi Kidsに還った気持ちになっています。嬉しい。。

 

 

オーケストラもGyaOさんもLFもMステSPも2人DESTINYも、、みんなみんな幸せで、贈り物で、頂き物で。KinKi KidsKinKi Kidsを納得を以ってされること、なんて言っていいのか分からないくらい贅沢で。