The love that breathes

例えば空を見上げるような.

祝詞を給うて

(「堂本剛 平安神宮ライブ2012 ヒトツ」の内容に関する記載を含みます。

 五月雨文章ですのでご容赦ください。)

 

 

祝詞 祭祀にあたって神前で称える詞章。(辞書:コトバンクより)

 

堂本剛 平安神宮ライブ2012 ヒトツ 鑑賞。

Mステの「T&U」を観て、堂本剛さんが奏でる音楽をどうしても、もっと感じたいと思って、久しぶりにディスクを取り出しました。

心が掴まれてどうしようもなくて、その肩に乗せた決意と優しさが途方もなく尊くて、こんなに純真に、同時に屈強に洒脱に生きる御大が幸せに生きられますようにと、心から祈りました。

 

 

ホテルの一室で、TV画面を眺めたりタブレットに触れたり、ソファに体を預けた視線は何を思っていたのだろう。

震災の現場や、京都・平安神宮を一望できる高台。東京タワーの上、スカイツリーの下から。世界を見渡す背中は何を感じていたのだろう。

裸足で川の中に足を浸し、太陽を眇めながらふんわりと笑う鼻先は何を感じていたのだろう。

公演後、時折夜空を見上げ、ファンの声援に「ばいばーい」と声を返す。空高く伸ばした手は何を思っていたのだろう。

その答えのすべてはきっと舞台の上にあって、同時に日本のどこか一室のベッドの上にあるんだろうと思う。

 

 

仮面をつけ、舞いながら舞台へと昇る堂本剛さん。「空が泣くから」のPVで見せたような、何かを手繰り寄せ引き寄せ、世界の真実を憑依させるイタコのような、能面で演じる伝統芸能のような仕草。

ギターもピアノもベースも祈りを捧ぐための神器かと錯覚する。

祈り、という意味では剛さんの歌声に勝るものはないなと思う。

 

どうしてあんなにも狂おしく切なく、そして純真に真っ直ぐに、絞り出すように末広がるように声を伸ばせるのだろう。聴衆の心に突き刺さり、染み入り、確かに心の中に声が届いて、残る。だからまたあの声を生で体感したいと思う。

 

「必ず信じてみせるよ」と歌う剛さんは誰を、何を信じたくて、そんな切なげに祝詞を給うて歌っていたんだろう。

あれから4年が経って、今の剛さんはもしかしたら「みせるよ」なんて語尾を遣わず信じる、と歌うのかもしれない。堂本剛が綴る歌詩の語尾、その変遷を辿ると御仁がどんな歩みの果てで光を捉え、抱き寄せたかが良く判る。

 

いつだって私は貴方を信じている。がんばろっかな、って切ない眼でくたりと笑う最後のシーンは、傷つきながら、それでも信じ願い歌う繊細で勇敢な剛さんを象徴するようだった。

 

 

今年の平安神宮公演も発表になりました。

古都で奏でられる剛さんの世界を、今年は肌で感じられますように。